二宮清純レポート 最多勝2回の天才投手がついに引退
斉藤和巳 35歳元ソフトバンク投手
投げたくても投げられなかったあの日々が財産なんです

沢村賞を獲ったとき、斉藤は常に取り巻きに囲まれていた。しかしその後、故障。残ったのは心から支えてくれる人だけになった。男はその波乱の野球人生で、勝利数よりも大切なものを学んだ。

田中将大との因縁

今季、東北楽天の田中将大が開幕から勝ち星を積み重ねるたびに、セミリタイア状態のひとりのピッチャーにスポットライトが当たった。

福岡ソフトバンクの斉藤和巳である。肩書はリハビリ担当コーチ。実に6シーズンもマウンドから遠ざかっていた。

8月2日、田中は無傷の開幕15連勝で、ついに斉藤が'05年にマークした日本記録に並んだ。その後、彼は記録を24にまで伸ばす。

田中に並ばれた日、斉藤は次のようなコメントを発した。

「僕とは次元が違うところでやっている。自分はいつか負けるだろうと思いながらやっていた」

斉藤が初めて田中と会って話をしたのは、2007年の3月である。オープン戦後、楽天の選手たちと東京で食事をした。その中にルーキーの田中もいた。

「物怖じしないヤツやなぁ……」

それが田中に抱いた第一印象である。

「3月だから、彼はまだ高校を卒業する前ですよ。先輩を前にすると、並のルーキーなら萎縮して、自分の意見なんて言えません。〝なぁ、そうやろう?〟と言われたら〝はい!〟と答えるのが精一杯ですよ。

ところが田中は〝いや、先輩、それは違います。僕はこう思います〟と堂々と話している。いくら甲子園などで場数を踏んでいるとはいえ、こんなルーキー見たのは初めて。〝大したもんやなぁ〟と感心しました」

田中とは一度だけ投げ合ったことがある。その年の7月、福岡でともに先発し、田中が7勝目をあげた。肩の筋疲労で3ヵ月ぶりにマウンドに上がった斉藤は5回3失点で負け投手になった。

「正直、彼のことを意識する余裕なんて、その頃の僕にはありませんでした」

斉藤が、そう話すのも無理はない。既にこの時点で彼の右肩は、もう限界に達していた。