「失敗に対して寛容な教育」の前に、まずリスクを計算できる能力を育てるべきでは?

〔PHOTO〕gettyimages

「成功は最悪の教師であり、最高の教師は失敗である」

こう語ったのはマイクロソフト社の創業者ビル・ゲイツである。人類の歴史は「挑戦と失敗」から学んできたと思うし、グローバル化やテクノロジーの進化においてもさらに未曾有の時代がやってくるので、「失敗しながら学ぶ」ことは最も効率よい挑戦・成長の仕方だと思う。

ただ、だからといって「失敗することを勧める」のはいかがなものかと思う。

これからの教育において「子供たちに失敗への向き合い方をどう教えるべきか」を考えさせられる機会があった。その時の様子を記しながら、失敗に寛容になることの意義について考えてみたい。

「これからの教育は失敗に寛容であるべき」との意見が全員一致

カタールでの世界教育改革サミット(WISE)で私は「失敗に対して寛容になるべきか」というテーマのパネルディスカッションに登壇した。私以外の登壇者は、世界銀行の幹部、インド系カナダ人の世界的IT企業創業者で、モデレーターは非常に有名な英国のジャーナリストだった。

この会議の素晴らしいところは、パネルディスカッションにコーチがつくことだ。前日のリハーサルでは、参加者全員で事前練習をする。それをパネルディスカッションのプロのコーチが、パネル全体が盛り上がり、聴衆が楽しんで参加できるように指導してくれるのだ。

私は各種国際会議に数多く登壇しているが、事前にリハーサルがあり、しかもそれにプロのコーチがつくというのは初めての経験だった。

リハーサルをしてみて気付いたのが、有能なプロのコーチがついてもこのパネルは盛り上がりそうになかった。というのもそもそも全員が「これからの教育は失敗に寛容であるべきだ」との意見で一致していたからだ。

皆の結論が同じなので、5分で結論が出てしまい、いくらコーチがテクニックを駆使しても盛り上がるはずがない。パネルディスカッションは一種ディベート的な対立構造がないとなかなか議論が盛り上がらないのだ。

そこで私は「私も"失敗に寛容になれ派"だが、私が失敗に不寛容な人間としてパネル内に対立構造を作るのはどうか? "失敗に寛容になれ"という世界の風潮に徹底的にモノ申すのだ」と提案してみた。

この提案にコーチも皆も大賛成。私は日本から来た頭が固い元政治家の役を演じることになった。そして、そのおかげで予想以上に議論は盛り上がった。

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