読書人の雑誌『本』
『最後の職人池波正太郎が愛した近藤文夫』著:中原一歩
てんぷらに人生を賭けた男

東京を代表する「江戸前の味」として親しまれている寿司、蕎麦、てんぷら―。しかし、東京の町を散策していても寿司屋、蕎麦屋にはぶつかるが、「てんぷら屋」に出くわすことはそう滅多にない。本屋の書棚でも同じことが言えて、寿司、蕎麦に関する本が数多出版されているのに対し、「てんぷら」を題材にした書籍は数えるほどしかない。

この点をある料理雑誌の編集長に尋ねたところ、

「食べ物として、人気は確かにある。けれども同じカウンター商売の寿司と比べて、てんぷらは職人の技量の差が歴然と料理に反映されてしまう。ある程度のお金を出して、もう一度食べてみたいと食べ手を唸らせることができる職人は東京にも数人しかいない。同じ金額を出して食事をするなら、当たり外れの少ない寿司屋を選択するのが人情ってものでしょう」

と、その難しさを語った。確かに寿司に比べるとてんぷらは単純明快な食べ物である。「粉をつけて油で揚げる」。ただそれだけの料理であるからこそ、最高の技術を必要とすると熟練の料理人は口を揃える。寿司は事前に「酢や塩で締める」「醬油に漬け込む」「蒸して旨味を凝縮させる」など素材に合わせた「仕事」を施すことができる。ところがてんぷらはそうはいかないので寿司以上に素材が重要視されるのだ。

てんぷらという食べ物を剣術にたとえると、「抜刀(居合)」である。鞘に収めた状態の日本刀を帯刀し、相手の懐に一撃を加えることができるギリギリの間合まで接近し、鞘から刀を抜き放つ一瞬の動作で確実に相手を仕留める。てんぷらはまさに「瞬間芸」なのである。著書『最後の職人池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)の主人公・近藤文夫もそんな「抜刀」の使い手である。

近藤文夫は高校卒業後、十八歳で神田駿河台にある「山の上ホテル」の門を叩いた。配属されたのはてんぷらと和食を出すレストラン「山の上」の厨房。全共闘運動真っ盛りの時代だった。二十三歳で料理長に大抜擢されると、車海老、鱚、女鯒といった魚介の天種に加え、それまで江戸前の世界では添物扱いされてきた野菜の研究に没頭するようになる。当時、天種としての野菜は、魚介中心の「江戸前てんぷら」とは峻別され「精進揚げ」と呼ばれ蔑まれていた。「山の上」のような高級店で、魚介と肩を並べて野菜を天種として提供することは大いなる冒険だったのである。

「山の上」は朝から夜まで通し営業。場所柄、宿泊者だけでなく近隣で働くサラリーマンの食事処としても賑わった。休日には宴会場を貸し切って行われる結婚披露宴の調理の仕事が舞い込んだ。仕事は多忙を極め七ヵ月間一日も休みがないこともあったという。それでも近藤は、誰よりもいい品物を仕入れようと、朝の河岸(魚市場)通いを一日も休んだことはなかった。そんな実直な青年料理長の姿はやがて、このホテルを贔屓にしている文人たちの目に留まるようになる。吉行淳之介、井上靖、三島由紀夫、水原秋桜子、山本健吉、土門拳・・・・・・。なかでも池波正太郎との出会いは近藤の人生を変えた。

「近ちゃんは昔、下ばかり向いててんぷらを揚げていたね」

 
◆内容紹介
近藤文夫は高校卒業後、駿河台にあるホテル「山の上」の門を叩いた。配属はてんぷらと和食を出すレストランの厨房。23歳で料理長に大抜擢され、厨房を仕切りようになる。
そんな青年料理長の姿はやがて、このホテルを常宿にしている文人たちの目に留まるようになる。吉行淳之介、井上靖、三島由紀夫、水原秋桜子、山本健吉、土門拳・・。なかでも池波正太郎との出会いは近藤の人生を変えた。
1993年に独立、池波が「第2の故郷」と語っていた銀座に「てんぷら近藤」を構える。ここで近藤は、にんじん、空豆、ズッキーニ、さつまいも、とうもろこし・・・・てんぷら職人の間では「添え物扱い」されていた素材の研究をさらにすすめて、独自の世界観で、いままでにない「野菜てんぷら」を考案していく――。