ブルーバックス
『記憶のしくみ 上・下』
脳の認知と記憶システム
ラリー・R・スクワイア、エリック・R・カンデル=著 小西史朗/桐野豊=監修

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記憶するとはどういうことなのか?
ノーベル賞学者が書いた新しい脳と記憶の教科書

 記憶はどのように組織化されるのか? 記憶の種類、記憶を司る分子、学習とシナプスの可塑性を中心に解説。


まえがき

  "Cogito ergo sum"--「我思う、ゆえに、我有り」。一六三七年に偉大なフランスの哲学者ルネ・デカルトが書いたこの言葉は、今でも西洋哲学においてもっとも広く引用される言明である。一方、二〇世紀以降の生物学の教えるところでは、この言明はつぎの二つの理由から誤りである。第一にデカルトはこの言葉を、心は身体から分離していることを強調するために用いていることだ。彼は精神活動が身体活動から完全に独立しているとみなしたのである。しかし生物学者は今や、心のすべての活動は我々の身体の特殊に分化した部分、すなわち脳から生じることを確信している。神経学者のアントニオ・ダマジオは彼の著書『デカルトの錯誤』で、「我有り、ゆえに、我思う」と逆に言い換えた方がより正確であろうと主張している。現代的な表現では、「我々には脳があり、そのため、我々は考える」といったところか。

 しかし第二のより大きな理由から、デカルトの言明は誤っている。我々は、たんに考えるから、我々なのではなく、考えてきたことを思い出すことができるからこそ、我々なのである。以後の章で説明を試みるように、自分たちが抱く思い、話す言葉や振る舞い、実際には、我々の自意識や他者とのつながりは、すべて我々の記憶、つまり脳が我々の経験を記録し、保存するという能力に依存しているのだ。記憶は、我々の精神生活を結びつける糊であり、個人史を保存し、生涯を通じて成長し変化することを可能にする足場なのである。アルツハイマー病のように記憶が失われると、我々は過去を再現する能力を失い、自分自身や他者とのつながりを失ってしまう。

 この三〇年間で、我々が記憶したり学習したり思い出したりするとき脳で何が起きているか、についての理解には大変革があった。本書の目的は、こうした大変革の発端となった事柄や脳にまつわる研究の大筋を述べ、記憶のしくみや神経細胞と脳システムのはたらき方について、現在までに明らかにされてきたことを記述することにある。さらには、障害や疾病によって記憶がどのように消え去るかについても説明するつもりである。

 現代の記憶研究には二つの潮流がある。第一は、神経細胞は相五にどのようにシグナルを送るかを明らかにする生物学的研究である。ここでの鍵となる発見は、神経細胞によるシグナル伝達は固定されておらず、活動と経験によって制御されるということである。つまり経験は、神経細胞を基本的な記憶保存装置として使いながら、シグナル伝達の強さを変えることによって脳内に記録(履歴)を残すことができるのである。第二の流れは、脳システムと認知に関する研究である。ここでの鍵となる発見は、記憶は単一のものではなく、独自の論理と別々の脳回路を使用する異なった様式があるということである。本書では、これら歴史的には異なった二つのより糸を組み合わせ新たな分野を創り出すことを試みた。それは「認知の分子生物学」であり、シグナル伝達の分子生物学と記憶の認知神経科学との間の相互作用に注目したのである。

 ここで取り上げる進歩のいくつかは、単純な無脊椎動物の神経回路内の記憶研究から得られたものや、ヒトの脳を含む、より複雑な神経系の研究からもたらされたものである。このような研究を大きく前進させた技術の進歩には、学習したり思い出したりしているときのヒトの脳のリアルタイムイメージングや、生きた動物、たとえばマウスで記憶の研究をするために、遺伝学的手法が使えるようになったことがある。