スポーツ

プロ野球特別読み物 小笠原道大よ、谷佳知よ、最初から分かっていたはず 巨人にFAで入っても幸せにはなれないのだよ カネに転んで「故郷」を捨てた男たちの末路

2014年01月04日(土) 週刊現代
週刊現代

2年目のシーズンが終わったオフ、野口は年俸1億円から2500万円へ、75%の大幅減俸を提示された。

「故障したので下がるのは予想していたんですが、あれほどとは思わなかった。一応FAのときは、三顧の礼で迎えられたわけですしね。しかし『何とかなりませんか』と言っても『ならない』と、取り付く島もなかった。

だから僕は、肘をきっちり治すしかないと思った。そこで『手術させて欲しい』とお願いしたんです。しかし、それに対しても答えはノーだった。そのとき、見限られたんだなと思いました」

当然肘の状態が快復するわけもなく、巨人3年目は野口にとってルーキーイヤー以来となる一軍登板なし。シーズン終了後に、戦力外となった。野口に中日を出たことを後悔しているかと訊くと、こう答えた。

「中日にいても、肘にはメスを入れる必要があったでしょう。その結果がどうなったかはわからない。ただ、中日なら手術の承諾はしてくれたでしょうね。

いま振り返るとわかるんですが、僕自身にとっての本籍は、13年いた中日にあったということです。ファンの方に声をかけられるときも、巨人に移籍してからもずっと『中日の野口』でしたからね」

ケガをしたら終わり

前田幸長も、野口と同じ思いを抱いていた。「巨人は外様なら、平気で選手を潰すチームだ」と確信した試合があるという。

「5点ほど点差があった状況で『前田、9回裏に登板するから準備しろ』と言われた。すると9回の表、味方がさらに追加点を奪って7点差になったんです。僕じゃなくても抑えられるセーフティーリードですよ。さすがに温存されると思いました。しかし監督は『前田行け』と。巨人にとっては、僕がそのシーズンで壊れてもいいんです。それよりも目の前の1勝を確実に獲ることのほうが重要。負けることが許されないチームとは、こういうものかと思いました」

得点差があり気の緩みもあったのか、登板した前田はツーランを浴びた。

「あの試合から調子を崩してしまいました。しかし僕ら外様は組織の『駒』です。それもリリーフとして補強された選手なんて、将棋でいえば『歩』みたいなもの。行けるとこまで行かせて、ダメになったら新しい駒を探せばいい。だからあの時、僕を温存するなんて発想はなかったんでしょう」

'07年、年齢とともに衰えの見え始めた前田は、駒としての役割を終えた。

previous page
3
nextpage


Special Feature
最新号のご紹介

スポーツプレミア アクセスランキング

  • 昨日
  • 直近1時間