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二宮清純「“松井キラー”遠山奬志を生んだ知将の一言」

2013年11月15日(金) 二宮 清純

 元阪神のサウスポー遠山奬志さんほど山あり谷ありの野球人生を歩んだ人は、そうはいないでしょう。

ドラ1左腕を甦らせた野村再生工場

 阪神が21年ぶりのリーグ優勝を果たした1985年オフのドラフトで1位指名を受け、入団した遠山さんは1年目、高卒ルーキーながら8勝(5敗)をあげます。「将来のエース」と騒がれましたが、翌年からは鳴かず飛ばずで、91年にはロッテにトレードされます。

 ロッテでは主に中継ぎを務めましたがパッとせず、95年には自らの意志でバッターに転向しました。95、96年の2年間で16打数3安打、打率1割8分8厘ですから、転向が成功だったとは言えません。

 97年のオフにはロッテを解雇され、古巣・阪神の入団テストを受け、合格しました。遠山さんが本領を発揮し始めたのは、野村克也さんが監督に就任した99年からです。この年、遠山さんは63試合に登板し、2勝1敗1セーブ、防御率2.09という好成績を残します。翌00年も54試合に登板し、2勝3セーブ、防御率2.55と、ほぼ前年並みの成績をおさめました。

 印象に残っているのは巨人・松井秀喜選手への強気の投球です。インコースをこれでもかと言わんばかりに突き、99年は13打数無安打と完璧に抑え込みました。松井さんは「(遠山さんの)顔を見るのも嫌だ」と言ったそうです。

 この頃、遠山さんは野村さんから「(左打者の)インコースを攻められないか」と要請され、ややサイド気味に腕を振っていました。内角へのシュートで腰を引かせ、最後はスライダーで料理するというパターンでした。状況によっては、逆の攻め方をすることもありました。

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