第56回 高峰譲吉(その一)
アドレナリンをはじめて抽出。国際的に活躍した、「愛国者」の飛翔

高峰譲吉、と云ってすぐに反応する人は、今、どれほどいるだろうか。
おそらく、よほどの物知りでも、すぐに応える事はできないだろう。
とはいえ、高峰の遺した功績はたいへんなものだ。

多少、年配の方ならば、胃腸薬「タカヂアスターゼ」の開発者として、認識しているかもしれない。
「タカヂアスターゼ」は、高峰がイリノイ州の田舎町に小さな研究所を設立し、苦心惨憺して作りだした胃腸薬である。
効果的な胃腸薬が発明されていない当時において「タカヂアスターゼ」は、独歩の地位を築いていたのである。

世界ではじめて、アドレナリンの抽出に成功したのも高峰であった。結晶形として得られた最初のホルモンを動物の副腎髄質から、抽出したのも・・・・・・。

高峰は学者としての顔だけでなく、奇抜な発明家であり―西南戦争に際して、熊本城と連絡を取るために、気球を飛ばした―、熱心な愛国者でもあった。
福沢諭吉、森有礼の『明六雑誌』に対抗して、『工業新報』を刊行したこともある。もっとも、同誌はあまり評判を呼ばず、経営悪化により、休刊の憂き目を見たのだが。

その人格は複雑であり、また時に恬淡ともしていた。
間違いなく、日本に生まれた、国際的人物の代表格というべき人物である。

一八五四年十一月、譲吉は現在の富山県高岡市に生まれた。
高峰家は、代々医者だった。
譲吉の父、精一は、京都や江戸で蘭方医学を学んだ後、帰郷したという人物。

オランダ語の書物、ビーカーやフラスコといった器具に囲まれて育った譲吉は、十歳にして加賀藩から長崎への長期留学を命じられた。幕末の混乱期に際して、藩は幼い俊才に、その命運を托したのであろうか。

藩が差配した船は、いわゆる千石船だった。玄界灘で難破し、暗礁にのりあげてしまったため、四十日かかって長崎に到着した。

長崎では、フルベッキの洋学校で学んだ。
フルベッキは、オランダ改革派の宣教師、新婚早々の一八五九年に来日し、長崎の洋学所、佐賀藩の致遠館等で英語、フランス語といった語学から、政治制度や科学、軍事まで教授した人物。その門下から大隈重信、伊藤博文、横井小楠らの人材が輩出している。