第55回 ノーベル(その三)ダイナマイトが革命を起こした---大発明家の「孤独」と「陰鬱」

アルフレッド・ノーベルは、一八三三年、ストックホルムで生まれた。
四人兄弟の三番目の息子である。
父親のイマニュエルは、独学で工学を身につけて、事業で成功を収めたが、ストックホルムではじめた建設業がうまく行かず、破産の憂き目にあった。
ストックホルムでの事業に見切りをつけて、父親は、サンクトペテルブルクに移った。

ロシア政府の高官とコネクションを作る事に成功し、クリミア戦争に際しては、兵站をはじめとする軍のさまざまな物資を供給するようになったのである。

ロシアに移住した際、アルフレッド・ノーベルは九歳だった。
正規の学校教育を受ける機会がなく―約一年しか通学できなかった―、兄たちとともにエンジニアになる訓練を受けながらも、アルフレッドは化学の研究に邁進した。
アルフレッドは、何事も呑み込みが早く、十七歳で、五ヵ国語を操る事が出来たという。
当時のアルフレッドは、周囲から、早熟で聡明だが、孤独を好む性格だと見られていた。

一八五〇年代初頭にドイツ、フランス、イタリア、北アメリカと国外ですごしている。
パリでは高名な化学者であるテオフィル=ジュール・ペルーズの実験室で働いた。
ペルーズの実験室で、アルフレッドは、イタリア人研究者、アスカニオ・ソブレロと出会った。

ソブレロは、一八四六年に揮発性の油を発見し、自らニトログリセリンと名づけた。
ソブレロが、ニトログリセリンの一滴をビーカーに入れ熱を加える実験を試みたところ、ビーカーが爆発し、見物人たちの顔や手に、ガラスの破片がつきささったという。

一連の実験から、ソブレロはこの敏感すぎる液体は爆薬として使い物にならないと考えていたが、ノーベルは、そう思わなかった。

ノーベルはこの揮発性油の実用化に成功し、一八六三年に特許を取得した。のちに、ニトログリセリンを利用した自分の発明を「ダイナマイト」と名づけた。ダイナマイトを含めて、ノーベルが取得した特許は、生涯に渉って、三百五十五に及んだという。

ダイナマイトの発明により、土木技術の世界に革命が起こされた。
道路、トンネル、運河といった交通網はもとより、露天掘の鉱山なども、画期的な恩恵を被ったのである。
ノーベルは、一八七三年、パリのマラコフ通りの豪邸を購入し、事務所と実験室を構えた。

実験設備は、後にパリ郊外のスブラン・リヴリーに移された。ノーベルは、イタリアのサンレモに実験室を移し、その後も、ヨーロッパ各地を転々として暮らしたという。
ノーベルは、知己からは内向的で孤独な人物と見られていた。生涯、結婚する事がなく、人生について悲観的で、世間からは、陰鬱きわまりない、と思われていた。

二十年収入がなくても、研究をつづけられるだけの賞金を

一八六八年二月、スウェーデン王立科学アカデミーの会員である化学者、クレメンス・ウルグレンは、レターステッド賞の選考委員会で、ニトログリセリンからダイナマイトを発明したとして、イマニュエルとアルフレッドの親子に、賞を与える事を提案した。

アカデミーはすぐさま承認した。
受賞者は金のメダルか、九百九十六クローナの賞金のいずれかを選ぶ事になっていたが、父子は、メダルを選んだ。