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堀内恒夫×新浦壽夫×淡口憲治~アンチ巨人まで心配する負けっぷり子どもは悲しみ、大人は怒った
長嶋監督の就任1年目「1975年ジャイアンツ最下位」を語ろう
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今年もリーグ優勝を果たした巨人。しかし、そんな巨人も'75年に一度だけ最下位になったことがある。歴史に残る屈辱を味わったメンバーが当時を振り返る。

長嶋も王もいないチーム

堀内 '75年の最下位は俺の野球人生にとって最大の汚点だし、あの悔しさは、今も心の中に残っている。

新浦 前年にV10を逃して勇退された川上哲治さんに代わって、現役を引退した長嶋茂雄さんが監督に就任された初めてのシーズンでしたね。

淡口 僕は当時、若手でしたがそれでも、まだ長嶋さん(当時39歳)は選手というイメージでしたから、監督になるというのでびっくりした記憶があります。

堀内 俺は逆に、川上さんがお辞めになると聞いた時、後任監督は長嶋さんしかいないと思っていた。他に人材がいなかったからね。ただ、いま考えると、コーチも経験せずにいきなり監督というのは凄いよね。そんな人は長嶋さんが初めてじゃないかな。

新浦 戦力的に見ると、長嶋さんが抜けたものの、レギュラー陣の顔ぶれはⅤ9時代とそんなに変わらなかったでしょう。だから、僕は十分、勝てるだろうと思ってました。

堀内 そう? 俺は正直、厳しいと感じていた。確かに当時のレギュラーは名前も実績もある人たちだったけど、あの頃はみんな歳を取って力も落ちていた。言い方は悪いけど「V9時代の出涸らし」だったんだ。

 おまけにONのNがいなくなり、V9時代にショートを守っていた黒江透修さんも引退した。重要なポジションであるサードとショートが替わるというのは不安だった。

新浦 僕は'75年のシーズンを2勝11敗という散々な成績で終えるんですけど、左ピッチャーが僕と高橋一三さんくらいしかいなかったから、打たれても投げ続けるしかなかった。

淡口 でも一番大きかったのは、開幕前のキャンプ中に王さんが左のふくらはぎを怪我してしまったことだろうね。王さんは一本足打法だから、軸足になる左足を故障すると、打席に立つことすらままならない。シーズン当初はもっぱら代打でした。

堀内 それで出遅れたことが敗因のひとつだね。長嶋さんだけじゃなく、王さんもいない。支柱になるべき打者がいないまま開幕を迎えてしまった。とにかく、王さんに早く戻ってきて欲しいと思っていた。