ホリエモン改め堀江貴文としての"処女作"『ゼロ』に伝えることへの執念を見た
藤野 英人

 ホリエモンが「堀江貴文」になり、そして既得権益者にとってはさらに手強くなって帰ってきた、というのが、私が新著『ゼロ』を読んだ率直な感想です。

 私が堀江さんと最初にお会いしてからもう10年以上になります。
 まだ彼の会社が未上場のとき、六本木の雑居ビルでの対面でした。小汚い服装に、目がギラギラした野生児のような人だなあという印象でした。

「丙午の会」という私と同世代の起業家を集めた飲み会というか懇親会を定期的にしています。丙午(1966年生まれ)を中心にその前後5年くらいの人たちでワイワイいろいろな話をしました。
 堀江さんもそのメンバーに入り、彼と今後のインターネットの未来や日本の今後について議論をしたのを思い出します。

堀江貴文は誤解されてきた

 堀江さんはいつしかヒルズ族と言われ、ホリエモンと呼ばれるようになりました。時代の寵児になり、選挙に出て、そして逮捕をされ、収監されました。
 その怒涛の動きは、もちろん当人にとってドラマチックだったと思うのですが、回りの人たちも驚かされました。

 『ゼロ』を読むとよくわかりますが、堀江さんという人はずいぶんと誤解をされています。堀江さんは拝金主義者、金の亡者で血も涙もない、というイメージを持っている人が多く、特に逮捕後はそのようなイメージで識者やメディアで散々と叩かれました。

 しかし近くで見ていた人からすると、当人はずいぶんとそのイメージとは違います。

 話は合理的だし、理論的。そして結論を急ぐコミュニケーションスタイルでしたが、損か得かではなく好きか嫌いかで動いている人であり、とてもシャイな理想主義者という印象を私は持っていました。

 合理的で理屈が通ることであれば、それは最終的には世の中が認めてくれるし、社会は最終的には合理的な方向性に動いていくはずだ、という強い信念がありました。
 そしてそれは今も変わらない堀江さんの信念です。ただ、収監前と収監後で大きく変わったところがあります。

 それは同じことを伝えるにもどう伝えるかが大事であるか、ということに気がついたことです。

 堀江さんが信じていたのは、何を伝えるかが大事だということで、その「何」にとてもこだわっていました。彼は一貫して、挑戦することの素晴らしさや起業のすばらしさを伝え続けていたし、そしてそれは当時の若者にはかなり正確に伝わっていました。
 しかし、提供方法が従来の価値観からは「乱暴で」「危険に」見えたので、彼の雰囲気やスタイルが気に入らない人には完全に曲解されていたように思います。

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