美術・建築
憧れと差別の狭間で ~ポール・ゴーギャンが描く偽りの楽園
『イア・オラナ・マリア(マリア礼賛)』
1891年 (メトロポリタン美術館)
拡大画像表示

美術館が好きで、よく足を運ぶ。古代から現代、洋の東西を問わず作品を観るが、その画家のキャンバスには、なぜか執拗なほどに心を揺さぶられる。

ポスト印象派の代表格、ポール・ゴーギャン。晩年、故郷フランスを離れてポリネシアに住み着いた画家は、モーブやマジェンタで甘美に彩られた、香しき楽園の姿をひたすら描いた。

その肥沃な大地に佇むのは、小麦色の肌を惜しみなくさらす、胸もあらわな女たち。微笑んでいるのか、もしくは消えた笑みの残影を宿しているだけなのか、妖艶な表情をまとった楽園の女たちが、ゴーギャンのキャンバスの数々に収められている。

文明に背を向け、地球の裏側で神秘の美を発見した巨匠というイメージは、画家の没後100年以上たった今なお、世界中で語り継がれる。日本で近年開催された回顧展のパンフレットでも、ゴーギャンは、「自らの内なる野生に目覚め」、「その特異な想像力の芽を育む楽園を求めて」、「人間の根源を探求し続けた」偉大な芸術家として紹介されている。

だが晩年の画家が遺した作品を観て美術館を後にすると、決まって心に残るのは、その圧倒的な美しさではない。むしろこみ上げてくるのは、不可解な気持ち悪さ、そして居心地の悪さ。

なぜいつも、ゴーギャンのキャンバスに強い違和感を覚えるのか。改めて考えてみると、一つの疑問がふと頭をよぎった。

「タヒチの男たちは、どこへ消えてしまったのだろう?」

画家が異国に移り住んで制作した多量のキャンバスには、なぜか成人した男性の姿がほとんど描かれていない。

観察眼と感受性に恵まれたはずのゴーギャンの目に、タヒチの男たちが映らなかったはずはないだろう。すると島の男たちは、画家のキャンバスから、意図的に排除されたのではないだろうか? そしてキャンバスに収められた楽園の中に、画家があえて描かなかったものが、まだ他にもあるのではないか?

どうしても気になって、調べてみたことがある。

するとゴーギャン作品の艶やかな美の背景に、アートの制作、流通、そして鑑賞にまつわる、不穏な陰が浮かび上がってきたのだ。

パリ万博の「展示物」を見てタヒチ行きを決意

1890年、タヒチ行きを決意したゴーギャンは、友人の画家に充てた手紙で、こう書いている。

「ヨーロッパでは、惨めな人々が、寒さと飢えに耐えながら終わりない労働を強いられている。だが遥かオセアニアに浮かぶタヒチに行けば、未開の楽園の住人たちは、人生の快楽のみを知る。彼らにとって生きることは、歌い、そして愛することなのだ」

そんな憧れを抱いてヨーロッパを後にしたゴーギャンだが、彼が訪れた19世紀末のタヒチは、イノセンスと自然美が残る楽園というイメージからはほど遠い場所だった。

18世紀半ばに約3万5千人いた島の人口はすでに三分の一まで減少しており、それはフランスをはじめとする西欧諸国が、100年以上も前からタヒチに出入りして、感染病を持ち込んだ結果だった。

人口の減少とともに、タヒチ固有の文化もまた衰退していた。島民の多くはキリスト教に改宗し、ゴーギャンが作品に描いたタヒチ生来の宗教観は、すでに遠い昔の記憶と化していた。またヨーロッパ製の工業製品が市場を侵食し、ゴーギャンの作品に登場する女性たちが身につける色鮮やかな生地は、その多くがヨーロッパからの輸入品だったことが分かっている。

そして何よりも、ゴーギャンが移住したタヒチは、植民地としてすでにフランスの支配下に置かれていた。

ゴーギャンがタヒチ行きを決意したのは、1889年のパリ万博を訪れ、「人間動物園」を見学した時と言われている。当時ヨーロッパ各地の万博で人気を集めていた「人間動物園」の会場内には、アジア、アフリカ、オセアニアなどさまざまな地域の集落が再現され、主に植民地から連れてこられた男女が、そこで「展示物」として生活させられていた。

彼らは万博期間中、民族衣装を着て伝統儀式を司り、訪れる人々を楽しませた。例えそれが、故郷ではすでに忘れ去られた慣習であっても、観客であるヨーロッパ人が求める異国情緒が、そこで演出されたのだ。

『かぐわしき大地』
1892年 (大原美術館)
拡大画像表示

「人間動物園」には学術的な研究という名目があったが、それは明らかに、「文明人」を自負するヨーロッパ人が、世界各地から連れて来た「野蛮人」を「展示」して楽しむ場だった。

ちなみに、当時国際舞台にデビューして間もなかった日本も、自分たちが「文明人」であることを世に示すためか、1910年の日英博覧会に、統治下の台湾の人々を「出展」していた。

パリ万博を見学したゴーギャンは、移住先について、タヒチのほかにマダガスカルとトンキンを検討した。いずれもフランスの植民地であり、やがて彼は、統治国フランス国民の特権として、旅券を3割引で購入し、タヒチ行きの船に乗り込んだのだ。

ゴーギャンは従って、未開の地に独り踏み入ったパイオニアではなく、また画家が遭遇したタヒチは、決してヨーロッパ人が憧れたような楽園ではなかった。それでもタヒチに住み着き、ひたすら甘美な世界観に固執し続けたゴーギャン。彼のキャンバスに収められた虚構の楽園は、一体どのようなイマジネーションの産物だったのだろうか?

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら