"偽悪者"のタモリだからこそできた『いいとも!』の偉業

2013年10月30日(水) 高堀 冬彦
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"夜の人"から「お昼のリーダー」へ

そもそもタモリは今でこそ「お昼のリーダー」と自称しているが、典型的な"夜の人"だったのだ。彼を最初に認めたのも日本を代表する酒場「新宿ゴールデン街」に集まる文化人たちだった。

もともと早大モダン・ジャズ研究会の司会者として人気を博していた人。大学を中退して郷里の福岡に帰ると、職を転々とした。そんなとき、たまたまピアニストの山下洋輔氏らと出会い、芸を披露したところ、絶賛され、再上京を勧められる。そして、新宿ゴールデン街で、4ヵ国語麻雀やイグアナのマネなどを見せると、文化人たちから喝采を浴び、デビューすることになった。

そのとき、既に30歳。イメージは「ジャズ」と「酒場」。デビュー後も『空飛ぶモンティ・パイソン』(テレビ東京)や『うわさのチャンネル』(日本テレビ)などアダルトな番組で活躍していたのだから、どう見ても" 夜の人" だった。

タモリを認めた文化人も故・赤塚不二夫さんや故・色川武大さん、筒井康隆氏、唐十郎氏らで、昼のイメージとは程遠い。いや、そもそもタモリを見出した人たちは、昼にテレビを見る習慣すらなかったのではないか?そんな人たちがいなかったなら、『いいとも!』は生まれなかったはずなのだから、世の中は面白い。

タモリ自身、「お昼のリーダー」に変わるまでには苦労があっただろう。希代の傑人であるのは間違いないが、"夜の人"からの変身は簡単なことではなかったはずだ。本人も変わろうとしたはずだ。

たとえば1990年ごろを境に芸風が変化した。いや、この人の本質は不変なのだろうが、少なくともトークの質は変わった。タモリの妙味の一つは攻撃性にあるはずなのだが、それが鳴りを潜めた。これにより、昼の顔として、より幅広く愛されるようになったように思う。

偽善者ならぬ"偽悪者"

かつての攻撃性を表す象徴的なトークが、1980年代における「名古屋批判」や「さだまさし批判」だ。インテリのタモリは、精神的な田舎者やセンチメンタリズムが嫌いだったらしく、口調こそ軽かったものの、繰り返し名古屋やさだの歌を批判した。

しかし、タモリは常識人でもあるようで、某ベテラン・フォーク歌手から諫言を受けたことにより、さだ批判を一切やめる。そのフォーク歌手から聞いたところによると、こんなやり取りがあったという。フォーク歌手が『いいとも!』にゲスト出演した際、舞台裏でのことだ。

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