サッカー
二宮寿朗「“代表引退試合”の重要性」

 セルビアの首都ベオグラードから北西に約50キロ向かったところに、第2の都市ノビ・サドはある。フレンドリーマッチで日本代表を迎えたセルビア代表は既にブラジルW杯は欧州予選敗退が決まっていたが、1万5000人収容のカラジョルジェ・スタジアムには熱心なサポーターが多く詰めかけていた。ここは「フリーキックの名手」として知られる現代表の指揮官シニシャ・ミハイロビッチがプロキャリアをスタートさせたFKヴォイヴォディナの本拠地でもある。だが、サポーターたちの最大の興味はミハイロビッチでも、日本代表との試合でもなく、偉大なプレーヤーの最後の雄姿を見ることだったに違いない。

配られた“スタンコビッチ本”の意味するもの

 デヤン・スタンコビッチは、同じセルビア出身のピクシーことドラガン・ストイコビッチのような華麗さはなくとも、攻守にわたって堅実で、強烈で、見る者の心を打ってきた名プレーヤーである。セリエAを5連覇するなど、インテルの黄金期を築いた一人だ。また、ユーゴスラビア紛争という隣人同士で争う悲しい出来事に翻弄されながらも、彼はユーゴスラビア代表、セルビア・モンテネグロ代表、そしてセルビア代表として3度、W杯に出場した。セルビアサッカーの象徴として長年、代表チームを引っ張ってきた存在である。

 スタンコビッチの「代表引退試合」と銘打たれたフレンドリーマッチ。スタジアムに入ると、スタンコビッチ一色だった。大型ビジョンには彼の映像が流されるだけでなく、プレスシートには1席ずつ赤い紙袋が置かれていた。その中身は「スタンコビッチ本」。彼の歴史をたどった一冊は百科事典ぐらいの厚さがあり、プライベートの秘蔵写真まで掲載されている。これを日本人メディアに対してプレゼントしてくれるというのだから、かなりの大盤振る舞いだ。

 入場から演出も凝っていた。スタンコビッチはこの日本戦でサボ・ミロセビッチと自身の持つ代表最多102キャップを更新するため、「103」がプリントされたユニホームを着込んで入場。彼の妻、息子たちにも同じようにTシャツが用意され、試合前に盛大なセレモニーが行なわれた。ラツィオ時代に監督を務めていたアルベルト・ザッケローニも握手して、記念写真に収まった。

 日本なら試合が終わった後にこのようなイベントが用意されるのが普通だと思うが、こちらでは逆だった。昨シーズン限りで引退していてコンディションも現役時代のままとは言えないなかで、彼はボランチの一角で先発。10分経過したところでアナウンスが入り、両チームの選手たちが花道をつくった。スタンコビッチはチェルシーで活躍するブラスニラブ・イバノビッチにキャプテンマークを渡してから、その間を通ってピッチを後にした。インテル時代の同僚でもある長友佑都とはお辞儀で別れのあいさつをした。試合前日、「プレー面だけでなく、彼には精神的な部分でも教わったことがたくさんある。彼の引退試合に携われることを誇りに思う」と長友が語っていただけに、心温まるシーンでもあった。

 場内はスタンディングオベーション。スタジアムにいる誰もが、スタンコビッチに敬意を表していた。分厚い本をめくってあらためて彼の歴史を学んだ筆者も、拍手を送った。本を読み終えた後、「あなたも心からの拍手を送ってほしい」と言われているような気がした。なるほど、本のプレゼントにはそんな意味がこめられていたのかもしれない。イベント色は強かったかもしれないが、彼に対する敬意を強く感じることができた。少なからずとも、筆者は感銘を受けた。