浅薄な解説、過激な極論はもはや迷惑!? ワイドショーのコメンテーターに求められる資質とは

TBS「みのもんたの朝ズバッ!」HPより

コメンテーターの正論は"おためごかし"

みのもんたの次男(31)=元日本テレビ社員、諭旨解雇処分=が窃盗容疑で逮捕された。その詳細については事件報道に譲るが、気になったのはワイドショーを中心とした情報系番組における一部コメンテーターの発言だ。

次男の逮捕当初、あるワイドショーのコメンテーターは「親の責任を問うべきではない」と唱えた。正論である。不祥事の責任は本人だけが負えば良い。家族を責めるのは筋違いだ。

だが、ちょっと待て。その正論を歪め、これまで成人した容疑者の自宅を訪れ、家族たちにマイクを向けていたのは、ワイドショーではなかったか? そのワイドショーに出演し、報酬を得ているコメンテーターが、みのの件になるや「親に責任はない」と言うのは矛盾している。みのだけを庇っていると誤解されても仕方がない。

ワイドショーは、これからも容疑者の家族への取材をやめないだろうし、著名人の家族の逮捕劇があれば再び大きく報じるはずだ。それを視聴者が許容しているのは、ワイドショーはスノビズムが貫かれた番組だと分かっているからだろう。それなのにコメンテーターだけが素知らぬ顔で正論や美辞麗句を並べ立てるのは二重基準だ。

コメンテーターが、そうした正論を口にするのなら、まず平素からプロデューサーに対しても「容疑者の家族への取材は、一切やめるべきだ」、「著名人の家族の犯罪を特別扱いするのは、おかしい」と強く進言しておくべきではないか。それもやらずに見る側にだけ正論を押し付けるのは、おためごかしに過ぎない。

「連合赤軍あさま山荘事件」(1972年)は現場からの生中継が史上最高の視聴率を記録し、テレビ報道の金字塔とされているが、その事件の最中に犯人のうち一人の父親が自殺しているのは忘れられがちだ。遺書には「人質にされた方には心からお詫び致します」と書かれていた。

日本には犯人の家族まで責任を追求してしまう風習がある。古くは明治期に「大逆事件」の犯人の家族が離散に追い込まれ、改姓まで余儀なくされた。コメンテーターが、みのの件の報道に本気で意義を唱えたいのならば、そんな風習全体の払拭に日頃から努めるべきではないか。それが出来ないのなら、スノビズムに徹するべきだろう。

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