官々愕々 公務員「改革」の欺瞞
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安倍劇場がまた始まった。

今回のテーマは、国家公務員改革だ。稲田朋美行政改革担当相が自民党守旧派と闘い、安倍総理が強力にサポートするという見飽きたパターン。

しかし、10月15日に自民党行政改革推進本部で了承された国家公務員制度改革案骨子は、改革どころか、完全な「反改革」となってしまった。

この法案は、自民党が麻生政権時代の'09年に国会提出した法案に似ているが、実は全くの骨抜きだ。私は'09年の法案を作ったのでそれが良くわかる。

そもそも、公務員改革は、何のために行うのか。

現在、公務員の人事・組織に関しては、人事院が給料や各給与ランクごとの定数を決める権限、総務省が組織の機構(局や課)の配置(新設・廃止含む)を決める権限、財務省がそれらに関する予算を決める権限をそれぞれ持っている。

このため、時代の要請にあわせた柔軟な組織・人員の配置換えが実施できない。農水省が、なお強大な組織を保持しているのがその典型。人事院(事務局は霞が関官僚)が、第三者機関と称してお手盛りで処遇を決めるため、民間よりかなり高い給与が放置されたり、組合の要求がそのまま通ってしまうという問題もある。

また、官僚の人事が各省縦割りで行われるため、官僚の評価が各省庁の権限・予算・天下りポストの拡大にどれだけ貢献したかという観点で行われ、国民への貢献という視点での評価にならない。優秀な若手や外部の民間人を幹部に登用しようとしても官僚が抵抗するし、一度幹部になると不祥事でも起こさない限り降格にならないので、抜擢しようとしてもポストが空かない。ブログやツイッターで暴言を吐いた管理職でも停職処分の後は、管理職として処遇せざるを得ないのも同じ問題だ。

さらに、総理や大臣が官僚の利権を奪う改革を実施する場合、官僚のサボタージュに遭い、官邸や大臣の機能が弱く、思うように改革が進められないという問題もある。前述した、真剣に改革に取り組まない幹部をすぐに降格できないこともこの傾向を助長している。

こうした問題の解決を図ろうとしたのが2009年の自民党の改正案だった。これによって、人事院、総務省などの人事・組織関係の権限を新たに内閣人事局を作って全面的に移管し、総理と官房長官が各省の大臣と協力して、官僚に頼らずに人事と組織配置を仕切ることにした。総理や各省大臣が守旧派官僚に負けないように国家戦略スタッフ(総理の補佐)、政務スタッフ(大臣の補佐)を、内閣が自由に配置できることにした。民間人登用のため、幹部の公募を総理が指示できることにもした。

これらに対しては、人事院はもちろん、霞が関をあげた反対があったが、連日の大バトルの末、何とかこれを抑え込んだ。唯一、できの悪い幹部を降格する規定が不十分だったが、それも'10年の自民・みんな共同案では幹部を任期付きにするという解消策が示されていた。

しかし、今回の自民党案は、人事院の権限を様々な形で温存して、「公務員の守護神」役を維持し、国家戦略スタッフは事実上見送り、政務スタッフも大臣補佐官としてたったの1名だけというような骨抜きとなってしまった。もちろん降格規定も野党時代の案を葬り去った。驚いたのは、民間との人事交流と称して事実上の天下り先の拡大など、官僚の焼け太り策まで潜り込んでいる。開いた口がふさがらないとはこのことだろう。

何故か、新聞はこの問題を一切報じない。国民は目を見開き、自ら抗議の声を上げるしかない。

『週刊現代』2013年11月2日号より

『原発の倫理学―古賀茂明の論考―』
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大好評有料メルマガ「古賀茂明と日本再生を考えるメールマガジン」の多岐にわたる論考の中から、原発事故関連、電力問題に関する記述をピックアップ。政治は、経産省は、東電は、そして原発ムラの住人たちは原発事故をどのように扱い、いかにして処理したのか。そこにある「ごまかしとまやかし」の論理を喝破し、原発というモンスターを制御してゼロにしていくための道筋を示す。
「核のゴミ」を処理できないという大問題の解決策がない以上、「原子力は悪である」という前提に立った上で取り扱うべきだという「倫理感」が国民の共通基盤になるはずだという筆者の思いは、熱く、なおかつ説得力がある。
福島第一原発の事故で原発の恐ろしさに目覚めた人、原子力ムラの企みと横暴に怒りを感じた人、そして「脱原発」を目指す多くの人に、真実を伝え、考える道筋を示し、そして希望を与える「魂のメッセージ」。