ブルーバックス
『真空のからくり』
質量を生み出した空間の謎
山田克哉=著

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南部陽一郎が導き、ピーター・ヒッグスが解明した
「質量の起源」の謎は、真空が握っていた!
ヒッグス粒子誕生の秘密が一から理解できる。

何もないはずの空間がざわめき、「無限のエネルギー」を生み出す――。
光さえ存在しない真っ暗闇の「無の世界」で、
無数の粒子たちが生成・消滅を繰り返していた!
「質量の起源」と「宇宙の進化」に不可欠な「真空のエネルギー」とは何か?
ヒッグス粒子誕生の秘密からカシミール効果まで、
謎に満ちた空間のふしぎを、わかりやすく解き明かす。


はじめに ── すべては真空から生まれた

〝幽霊エネルギー〟の怪

「真空は決して〝空っぽ〟の空間ではなく、複雑きわまる物理系であり、この宇宙のすべては真空から生まれた」──これが、この本のメイン・テーマです。

 真空とは、空気はもとより、あらゆる物質やエネルギーを完全に取り除き、完全に空っぽになった空間ということになっています。光を含むすべてのエネルギーを取り去られた真空は真っ暗闇で、どんな観測器や検出器も反応しません。人類はかなり以前から真空の〝存在〟に気づいてはいましたが、「真空は真空であって、それ以上議論の余地はない」と考えてきました。

 ところが、20世紀に入り、真空に関してとんでもないことがわかってきたのです。なんと、真空が〝無言〟でざわめいているという事実です。──空っぽの真空がざわめく!? いったいどういうことでしょうか?

 私たち人類が見出したのは、二つの驚くべき事実でした。一つは、「真空のいたるところで多数の粒子がひんぱんに出没している」ということ。二つめは、「空間から一切のものを取り除いても、〝発生源のないエネルギー〟が取り残されてしまう」ということです。さらには、「真空に出没している無数の粒子」と「発生源のないエネルギー」とが同じものだというのですから、困惑を覚えずにはいられません。

 真空から粒子が現れるとは、まさに「無から有が生じる」ことですが、本当でしょうか? ふしぎなことに、たとえ真空にエネルギーが取り残されていても、あるいは真空から粒子が出没していても、その空間には温度がなく、真空であることには変わりがないというのです。なぜなら、真空に出没する無数の粒子(=真空に取り残された発生源のないエネルギー)は、絶対に直接観測されることはなく、温度も観測しえないからです(温度の定義は第1章参照)。

 人間の五感にも観測器にも訴えることなく、まったく観測不可能であるというなら、それは「無」と同じです。真空内に得体の知れないエネルギーが存在していても(無数の粒子が出没していても)、真空はなお真空なのです!

「場の量子論」という物理理論によれば、発生源のないエネルギーの量は「無限大」です。真空の中に無限大のエネルギーが潜んでいるなんて信じられますか? しかも、無限大のエネルギーをもつにもかかわらず、真空には温度が存在しないのです!

 さらに驚くべきことに、この発生源のない真空のエネルギーは単なる机上の理論ではなく、〝実在〟することが判明しました。真空のエネルギーが実際の物体に何らかの影響を及ぼした「結果」を観測することに成功したのです。

 真空に潜む発生源のないエネルギー……、まるで〝幽霊エネルギー〟です。真空内にエネルギーがあることはわかっているのに、取り出すことはおろか観測することさえできない──、だからこその真空である。……何とももどかしい話です。音の存在しない、まったくの静寂な世界である真空がゆらぎ、音を立てることなくざわめいている。謎めく「真空」の正体とは、いったい何なのでしょうか?