官々愕々 ブログ官僚と「官僚の3類型」

経済産業省の官僚が、ブログに「復興は不要」などという暴言を匿名で書き込んだことが明らかになり、停職2ヵ月の処分を受けた。この官僚の行為は確かに許されないことだ。

一方で、経産省が、「この官僚を厳罰に処しました」と言う裏には、「経産省の官僚はみんな真剣に国民のために働いています。こんなバカな奴がいて迷惑しています」という宣伝が隠されている。しかし、それも額面どおりに受け取るわけにはいかない。

私は公務員を3つのタイプに分類し、消防士型、中央エリート型、凡人型と呼んでいる。公務員になる動機、求める報酬、国民への態度、待遇に対する感情という4つの観点でその特色を見てみよう。

消防士型は、市民・国民のために働くために公務員になる。市民からの感謝が最大の報酬だ。国民には、奉仕の精神で対応し、高給でなくとも満足する。官僚としての理想形である。

中央エリート型は、自分が優秀であることを証明したくて官僚になる。小学生から高校まで成績優秀で東大法学部を目指し、その延長で官僚になって次官を目指す。求める報酬は、自分が優秀だという証(権限、地位、名誉)。一言で言えば、ちやほやされることだ。上から目線で、「国民のためにやってやっている」と考える。バッシングを受けるし、給料は不当に安いという不満がある。国民から要望が出ると、たかりに来ているという感覚。できの悪い政治家の尻拭いをさせられているという被害者意識も持つ。

凡人型は、安定を求めて公務員になる。報酬として、天下りを含めた長期安定的な所得を求める。国民に対しては距離をおき、面倒な仕事から逃げる。待遇について大きな不満はない。

こうして見ると、中央エリート型は、今回のブログ事件や復興庁のツイッター事件と親和性がありそうだ。

実は、霞が関のエリートには、本音では今回のブログ官僚と同じことを考えている者が多い。役所の中ではよくこうした発言を耳にする。しかも、それを許す職場の雰囲気がある。職場は、外から見えない、匿名の場所だ。その延長線上で、この官僚はブログに「匿名」で本音を書いた。始めると、注目を浴びることが快感になる。ちやほやされたい彼らが陥りやすい落とし穴に嵌ったのだろう。

個人だけでなく、組織にも問題がある。役所には、今回のような発言自体をとがめる空気がなく、外に出て初めて問題になる。最初の反応は「ドジだなあ」という程度だ。それがいったん大騒ぎになって、組織への攻撃につながる事態になると態度が豹変する。まず、問題を起こした個人を徹底的に悪者にする。次にその悪者を厳しく罰することにより、組織は正義の味方だという演技をする。今回の停職2ヵ月が、従来の処分例に比べて非常に重いのはそのためだ。

官僚の人事権は、法律上大臣にあるが、実際は事務次官を頂点とした事務方が仕切る。このため評価基準が、役所のために頑張ったかどうかになる。国民のために頑張ったかではない。これを変えるためには、国民を代表する閣僚が、幹部クラスの人事を国民目線で行うことが必須だ。さらに、評価してダメな人は降格できる仕組みも不可欠である。あんな暴言を吐いても停職2ヵ月で、降格はない。政治家が官僚人事に介入するのはよくないという人がいるが、そういう政治家は選挙で落とせばよい。

今は、官僚が好き勝手なことをやっても「匿名」のまま何の責任も取らなくて済む。これを変えるのが「公務員改革」の大目的の一つなのである。

『週刊現代』2013年10月19日号より

『原発の倫理学―古賀茂明の論考―』
定価:500円(税別)
大好評有料メルマガ「古賀茂明と日本再生を考えるメールマガジン」の多岐にわたる論考の中から、原発事故関連、電力問題に関する記述をピックアップ。政治は、経産省は、東電は、そして原発ムラの住人たちは原発事故をどのように扱い、いかにして処理したのか。そこにある「ごまかしとまやかし」の論理を喝破し、原発というモンスターを制御してゼロにしていくための道筋を示す。
「核のゴミ」を処理できないという大問題の解決策がない以上、「原子力は悪である」という前提に立った上で取り扱うべきだという「倫理感」が国民の共通基盤になるはずだという筆者の思いは、熱く、なおかつ説得力がある。
福島第一原発の事故で原発の恐ろしさに目覚めた人、原子力ムラの企みと横暴に怒りを感じた人、そして「脱原発」を目指す多くの人に、真実を伝え、考える道筋を示し、そして希望を与える「魂のメッセージ」。