第50回 長尾よね(その一)
創見と機転で莫大な財を築く―栄養剤「わかもと」の女主人伝説

長尾よね。
と云って通じる人は、今日、どれほどいるのだろう。
もっとも、私自身も、つまびらかには知らないのだが。
世間的にいえば、合資会社『栄養と育児の会』の設立者であり、栄養剤『わかもと』を販売した人物、という事になるのだろう。

事業家としてのよねは、おそろしい程、敏腕であった。
女性の実業家がほとんどいない時代に、自らの創見と機転によって、とてつもない財産を築いた人物である。

今日、女性の起業家はあまた存在しているけれど、残念ながら、まだ、長尾よねを凌ぐ者は現れていないように思われる。
よねは、それほど破天荒な人物であったし、その器量の大きさ、深さは、一般的、世俗的な物差しでは、到底、計れないものだ。

よねを巡る、桁の外れたエピソードは、枚挙に暇がない。
たとえば、近衛文麿の一件。
昭和二十年十二月六日、GHQは、近衛文麿、木戸幸一といった天皇の側近にたいして逮捕令を発した。

当時、軽井沢に逗留していた近衛は、東京に向ったが、その目的地は、自宅である荻窪の荻外荘ではなかった。
近衛は、深沢の宜雨荘―よねの夫、長尾欽彌の邸宅―に、赴いたのである。
十五日まで近衛は長尾邸で過ごした。

「山本さん」と呼ばれている妾も長尾の許に寄留した。
「山本さん」は、この世のものとも思えないほど、美しかったという。

近衛は、長尾邸で自害するつもりだったが、よねは峻拒した。
大事な事は、本宅でしなければならない、と云う筋論を、よねは、譲る事をしなかったのである。

結局、近衛は、本宅のある荻窪に帰り、服毒自殺をした。
木戸幸一が、自決の道を選ばず、皇室を護持するために、東京裁判で徹底的に戦ったのとは、対照的な行き方を、近衛は選んだのである。

よねは、自らの素性を、はっきりと語った事はない。
一般に流布しているのは、よねは田中光顕伯爵が、髪結いに産ませた児だと云う説である。