読書人の雑誌『本』
『アイスタイム 鈴木貴人と日光アイスバックスの1500日』著:伊東武彦
「マイナースポーツ」を追って

マイナースポーツという言葉は、いつどのように生まれたのだろう。「メジャースポーツ」という言い方は耳なじみがなく、対語は「人気スポーツ」になるのだろうが、いずれにしろ1980年代から90年代、バブル経済とその崩壊の過程で、現代日本人の価値観を規定した二極思考が読み取れる言葉ではある。

80年代半ばに流行した「㊎」「◯ビ」という言葉がほほえましく思えるほどに、バブルと規制緩和を経て「勝ち組」「負け組」という身も蓋もないグルーピングが色濃くなった。「逆転」や「逆襲」が難しい時代と言われて久しい。

80年代から、スポーツの世界でも、スポンサー企業と手を携えたJOC(日本オリンピック委員会)の強化策によって、人気スポーツとマイナースポーツの色分けが進んだ。オリンピックのメダルの色と数が勝ち組の象徴、本大会に出場さえできない競技には強化資金が流れず、競争力が低下して国際舞台は遠のいていく。そうなると国内の試合でも人が集まらない、マスコミにも取り上げられない悪循環だ。

著書『アイスタイム鈴木貴人と日光アイスバックスの1500日』(講談社)は、そんなマイナースポーツの代表格であるアイスホッケーの世界の話である。

1978年、高校生の私は自宅のテレビのチャンネルをかちゃかちゃと回していた。NHKは日本時間前日の深夜に行われたアイスホッケー世界選手権Bグループの試合を録画放映し、隣の東京12チャンネル(現テレビ東京)はサッカーの国際親善試合を中継していた。ビデオ録画の機器はまだなく、私は強豪ポーランドと渡り合うアイスホッケー、ソ連の一クラブチームに苦戦するサッカーの両代表の戦いをせわしなく追いかけていたのだ。

残り時間2分あまりで同点弾を浴びて引き分けたアイスホッケーは世界選手権Aグループへの昇格を逃したが、サッカーのワールドカップでいえば、準々決勝の目前にいた。一方でサッカーはソ連で70番目ほどの実力のクラブチームに逆転負け。当時の監督は「落ちるとこまで落ちてしまった」と嘆いたが、高校の部活でサッカーをやっていた私自身、暗澹たる気持ちでテレビのスイッチを消したことを思い出す。

10年後、私はサッカー専門誌の編集記者になった。サッカー日本リーグの観客は数えるほど、オリンピックは20年間遠ざかっている。関係者の間に流れていたのは、「負け組」の持つ暗い空気。しかしその中で、企業の枠組みを超えた男たちがプロ化に向けて一筋の光を見ていた。プロ化への伏線になっているのが、落ちるところまで落ちた時代に関係者によって意図的に西ドイツに送り込まれた一人の選手の存在であることも知った。

 
◆内容紹介
2009年春、1人のスーパースターが行き場を失っていた。名門SEIBUプリンスラビッツ、日本代表のキャプテンとして、長野オリンピック以降の日本アイスホッケー界を支えてきた男だ。所属チームの突然の廃部により新天地を探さなければならなかった鈴木貴人に声をかけてきたのは、幼なじみの村井忠寛だ。だが、鈴木が加入を決意したバックスは、長い負の歴史を持つ「弱小クラブ」だった―。オリンピックに出場できなければ、スポーツではないのか―。時代に翻弄された日本アイスホッケー界のキャプテンと弱小クラブで戦った50人の「逆襲の記録」。