裏社会
山口組系後藤組元組長『憚りながら』の後藤忠政氏は カンボジア人となって来賓席に座っていた!
後藤氏が姿を見せた武道祭の開催を知らせるチラシ

 カンボジア国防省と日本の空手道宗家家元会議が主催する「カンボジア&日本親善文化交流空手道武道祭が、9月22日、カンボジアのプノンペンスタジアムで開催された。

 空手は、カンボジアでも普及を始めており、空手流派のなかでも和道流、松濤館などはプノンペン道場を持ち、生徒を抱えており、生徒のなかには軍人も少なくない。そこで、両派の他、剛柔流、糸東流、フルコンタクトなどの家元、館長、幹部などが役員となって、空手道武道祭を行った。

 演武、交流試合、日本代表による記念演武と、親善大会はつつがなく進行して終わったが、関係者の注目を集めたのは、来賓席に元山口組系後藤組組長の後藤忠政氏が元気な姿を見せていたことだ。

2年半ほど前に日本を出てカンボジアで爵位を受けたとの噂

 2年半近く前、突如、日本を出国。「カンボジアで国籍を取得。事業を手がけ、爵位も受けている」という情報は流れていたものの、その姿が"公"に確認されたのは初めてといっていい。

 後藤氏は、バブル時代、「東京に進出した山口組の経済ヤクザ」としてその名を知られていたが、08年10月、6代目山口組の除籍処分を受け入れて引退。
 09年4月、神奈川県の浄発願寺で得度、「忠叡」と名乗るようになった。

 "表"に姿を現すようになったのは、10年5月、『憚りながら』(宝島社)というタイトルで回想録を出版してからである。

 同時に、私費を投じ、総合プロデューサーとなった映画『BOX 袴田事件―命とは』も、同年5月末から全国公開された。

 袴田事件は、今から47年前、静岡県清水市で起きた一家4人殺人事件である。
 逮捕、起訴されたのは元プロボクサーの袴田巌死刑囚(当時30歳)。袴田氏は、取り調べ段階での自白を覆し、公判では無実を訴えるが、80年に最高裁で死刑判決が確定。弁護側が再審請求の手続きを進めている。

 後藤組が本部を置いていたのは、静岡県富士宮市。そんな地理的な親近感もあってこの事件に興味を持ち、冤罪を確信、映画にして訴えることを決めたのだという。

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