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みのもんたバッシングにもの申す! 31歳の男の犯罪に「子育て失敗」って、いったい何様のつもり?
〔PHOTO〕gettyimages

今までちやほやしていたマスコミが、今度は手のひらを返したようにバッシング。みのもんた氏のことだ。先週の駅の新聞スタンドには、「みのもんた追放」という大見出しが躍っていた。「子育て失敗」というような論調もある。

私に言わせれば、冗談も休み休みにしてほしい、というところだ。13歳の中学生のことならともかく、なぜ、31歳の男の行動に、「子育て」を持ち出さなければいけないのだ?

百歩譲って、みの家の子育てが理想的ではなかったとしよう。しかし、だからといって、31歳の男の行動の是非が、すべて親の教育に起因するはずはない。世の中には不幸な環境で育った人間はたくさんいる。しかし、人間は誰でも16歳くらいになったら、自分の頭で考えることができる。それ以後の行動は、本人の責任だ。

もちろん、子供が年をとっても、親は親だ。だから、すでに大人である我が子の行状に、親として責任を感じるというのはわかる。わかるどころか、親というのは、こういう場合、大いなるショックを受け、悲しみ、絶望する。自分の責任だとも思う。子供が過激派になって重罪を犯したことを恥じて、自殺してしまう親さえいた。それはわかる。当たり前だ。しかし、その親を、傍からやいのやいのと責めるのは酷だ。

そもそも、みのもんたに対する責め口調の記事を書いている人間は、いったい自分を何様だと思っているのだろう。自分たちは、他人様を裁定できるほど完璧なのか。今まで癪だと思っていたから、「ざま見ろ」と思って、ここぞとばかりに他人の子育てを責めているのなら、それはあまりに卑しい了見だ。

すべての親は子供に良かれと思って一生懸命に子育てする

子育てについて、ひとこと言わせてもらうなら、世間の目には失敗と映る子育てをした親だって、別に初めから失敗しようと思っていたわけではない。それどころか、普通の親は今も昔も、常に、すべて良かれと思って一生懸命やっているのだ。しかし、残念ながら、それが往々にしてうまくいかない。

その悲しい経験は、子供を育てた親なら誰でも持っているはずだ。親はいつも、「自分の子育てが間違っていたのか」という疑問に苛まれている。ただ、たいていの場合、そのあとに楽しいことや嬉しいこともあり、親の心は微妙な釣合を保ちながら、子育て期を乗り越えていく。そして、いつしか、子供が大きくなったころには、悲しかったことはほぼ忘れてしまう。

ただ、たまに、悲しく辛い経験が他の感情を圧倒するケースはある。子供が一人しかいない場合は、悩みは希釈されることがなく、次第に膨張し、とても深刻になっていく。昔と違って、周りにサポートしてくれる人も少ない。

そういう時に限って、一生懸命にやることが、すべて裏目、裏目に出る。子供は笑わず、不幸そうで、それを見る親は、もっと不幸になっていく。そうして悩んでいるところに、「親の顔が見たい」などという非情な言葉が襲いかかる。神経が持たず、投げ出してしまう親がいるのも、とてもよくわかる。

有名人の子供が脱線して、警察沙汰になったりすると、たいてい出てくるのが、「子供に贅沢をさせ、何でも与えたからだ」という非難だ。みのもんた氏の次男の件でも、それは言われた。

しかし、実際問題として、有名になってしまっている親が、子供にだけ、普通の庶民の生活をさせることは不可能だ。日頃、豪邸に住み、掃除は使用人にさせ、お抱えの運転手の車で移動している人間が、突然、子供といっしょに満員の帰省列車に乗ったり、安いレストランに行ったりしても、それは、社会見学以上の意味を持たない。わざとらしいだけだ。清貧な生活を子供に教えたいなら、親も質素に生きなければならない。それができないから、難しいのだ。

つまり、結局、子供は親の生活スタイルに合わせて育てる以外に方法はない。問われるのは、自分たちのスタイルが普通の庶民のそれとかけ離れている場合、その事実をどのように理解させ、克服するかということだ。

おそらくこれは、先祖代々の素封家の方が上手いのではないか。かたや成金にとっては、お金のある生活が、親にとってもまだ「普通」になりきっていないだけに、その中での子育てはより難しいことだろう。とはいっても、素封家も成金も普通の庶民も、すべての親が、子供にとって良かれと思い、一生懸命に子育てをしているという点には、私は疑いを持っていない。親とはそういうものだ。

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