インテリジェンスの文法で読む
小説『スギハラ・ダラー』

「シリアと北朝鮮の核」など極秘情報が満載

 東京に勤務する情報を扱う外国人の間で、2月に手嶋龍一氏が上梓した小説『スギハラ・ダラー 』(新潮社)が話題になっている。手嶋氏はNHKワシントン支局長を長くつとめた。特に2001年9月11日の米国同時多発テロ事件のときは、ワシントンから11日間の昼夜連続中継を行ったので、手嶋氏のソフトな語り口を覚えている人も多いと思う。

 外交の世界には秘密がある。ジャーナリストがそれを知りすぎてしまうと、本人の意図にかかわりなくプレイヤーになってしまう。手嶋氏が、そのようなプレーヤーの1人であることは間違いない。

 2006年3月に手嶋氏は小説『ウルトラ・ダラー 』(新潮社)を上梓した。同書は日本発のインテリジェンス小説であると筆者は考えている。インテリジェンス小説とは、事実をそのまま描いたドキュメンタリー・ノンフィクションではない。

 また、実際の話に架空の人物を押し込んで、そこに「ふくらし粉」を入れて創作したノンフィクション・ノベルでもない。

 あえてインテリジェンス小説の定義をすると「公開情報や秘密情報を精査、分析して、近未来に起こるであろう出来事を描く小説」である。

『ウルトラ・ダラー』において、手嶋氏は、北朝鮮の偽ドル工作が暴くとともに日朝国交正常化をめぐる裏交渉で、記録が公電(外務省が公務で用いる電報)に残されていないのではないかという重要な問題提起を行った。

 この小説のもとになった情報が、国際的に影響力をもつインテリジェンス機関並びに日本外務省の中枢部から得られたことは間違いない。当然、外務省内部の権力闘争とからんでいる。『ウルトラ・ダラー』が上梓され、震え上がった当時の外務省幹部がいたと思う。

 この小説が出なければ、この元外務省幹部は今ごろ国会議員になり、東アジア共同体構想を積極的に推進していたであろう。

小説に盛り込まれた「極秘情報」

 さて、『スギハラ・ダラー』は、リトアニアの首都カウナス市で日本領事代理をつとめていた杉原千畝氏が、1940年に外務本省の訓令に反して発行した通過査証(トランジット・ビザ)得て、上海やアメリカにわたったユダヤ人の運命を軸に物語が進められている。

 インテリジェンス小説の種明かしをするのは禁じ手だと思うので、筋についてはこれ以上触れない。筆者としては、この小説に一般の報道ではなかなか知ることができないインテリジェンスの秘密情報が盛り込まれていることを明らかにしたい。

 小説の体裁をとっているので、「嘘のような本当」と「本当のような嘘」が混在している。本当の話だけで小説を書けばよいという批判もあろう。しかし情報源を秘匿するために適宜、嘘話を混ぜることが不可欠になる。もっともインテリジェンスの世界の「文法」を知っていれば、この小説から現実に近い部分を抽出することはそれほど難しくない。

 筆者が抽出した2点について述べる。

 第一は、北朝鮮とシリアの関係についてだ。

<シリアから北朝鮮に供与された小麦の時価総額は、新たに原子炉を完成する費用とほぼ同額だった。イスラエルの情報当局は、シリア・北朝鮮の秘密議定書を密かに入手した。そしてこの小麦の取引きが原子炉の建設計画と裏表の関係にあることを関係者の証言で裏付けたのであった。

 シリアが核開発を急ピッチで進めているという情報をめぐって、ブッシュ政権の内部で深刻な対立が持ちあがっていた。強硬派のネオコン一派は、シリアの核の背後に北朝鮮の影を見咎めて、国務省が進めている宥和的な対北朝鮮政策に異を唱えたのだった。

 国務省の東アジア・チームが、金正日政権を甘やかした結果、ピョンヤンからダマスカスに核兵器を拡散させることになったと批判し攻勢を強めていたのだ。

 これに対してコンドリーサ・ライス国務長官率いる国務省一派は、北朝鮮がシリアへ様々な支援を行っていたのは過去の出来事だと一蹴した。そしてイスラエルがシリアを攻撃するのは時期尚早だと強い難色を示したのだった。

 こうした米政権内部の論争に止めを刺すべく、イスラエル参謀本部に直属する特殊部隊「セイェレット・マトカル」がシリア国内に潜入していった。シリア軍の軍服をまとってシリア兵士になりすました特殊部隊は、この施設に侵入して核物質を持ち帰っている。それはシリアがこの施設で長崎型のプルトニウム爆弾の製造に手を染めている動かぬ証拠だった。

 イスラエルの国防相エフード・バラックは、ブッシュ政権にシリアの核施設を攻撃することを内報したうえで、全軍に戦闘態勢を命じた。二〇〇七年九月六日を期して空爆が敢行された。イスラエル空軍のF15戦闘機の編隊がシリア上空に姿を見せ、アル・キバルに建設中だった核関連施設を標的に爆撃が行われた。この攻撃によって現場にいた北朝鮮の外交官と技術者が死亡した。

 シリアのアサド大統領は「爆撃された標的は、現在は使われていない軍事施設であり、空爆はなんらの結果ももたらさない」と述べた。「セメント工場」は「軍事施設」に巧みに言い換えられている。それでも、シリアの核施設の開発に北朝鮮が協力している事実はないと強弁した。

 これに対して、アメリカ政府は核施設の爆破前の写真を主要メディアに公開した。それは、北朝鮮が寧辺に完成させた、プルトニウム爆弾の原料を抽出するための黒鉛減速ガス冷却炉と酷似していた。>(手嶋龍一『スギハラ・ダラー』新潮社、2010年、203~204頁)

 日本ではあまり伝えられていないが、この情報は2007年秋に主要国のインテリジェンス機関の間で、極秘情報として出回ったものだ。筆者もその時期にこの情報を得て、手が震えたことを覚えている。シリアは人道支援を偽装して、北朝鮮の核開発を支援したのだ。

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