『生き心地の良い町』この自殺率の低さには理由がある

レビュアー:栗下 直也

 2万7858人。 2012年の日本の自殺者数だ。15年ぶりに3万人を割り込んだが、依然高水準にとどまっている。自殺者数が発表されるたびに、自殺の原因や対策を巡る議論があちこちで起きるが、自殺が起きない要素は議論されない。起きてない事象について「なぜ起きないか」を探るのは素人ながら難しいと思ってしまうのだが、果敢に挑んだのが本書だ。

 徳島県南部の旧海部町(現海陽町)。太平洋に面する総面積27平方キロメートル弱の小さな島。自殺者数の総数は過去30年で7人。自治体によって異なる年齢の偏りをなくしても自殺率の過去30年の平均値は、全国の市区町村の中で、島を除けば最も低い。産業構造や人口がほとんど変わらない両隣の町の自殺率が全国平均値とほとんど変わらないにもかかわらず、突出して低い自殺率。なぜか。強烈に惹かれた大学院生だった著者は2008年から4年間、単身、海部町のコミュニティに入り込み、住民と向かい合うことで、理由を探し出す。多様性、相互扶助組織の緩いつながり、偏見の少なさ。隣接する町や県内の自殺率の高い地域との対比、海部町が形成された歴史を踏まえながら、自殺の危険を緩和する5つの要素を見出していく。

 興味深いのは、調査の過程のひとつのアンケート結果だ。必ずしも海部町の住人が自らを「幸せ」とは思っていないのだ。著者が両隣に接する町とあわせて3町でアンケートを実施したところ、「幸せ」と答えた割合は海部町が最も少なく、「幸せでも不幸とも思わない」と答えた割合が最も多かった。結果を海部町の住人に知らせたところ、彼らは「幸せでも不幸せでもない状態が自分にとって一番ちょうどええ」、「一番心地がええ」と答える。 「そこそこ」で満足してしまう。高望みしないので、立身出世できないと笑う者もいた。

 就活中の大学生あたりには「意識が低いんじゃ、ゴルァ」と怒られそうだが、海部町の姿は古来から続いてきた人間の姿だろう。著者が描写する海部町の暮らしは、今日あるように明日があって、明日があるように明後日があるような生活だ。退屈と言えば退屈だが、長い歴史を振り返れば、仕事やそれに順ずる活動で価値あるものを実現する必要性は一部の人間を除き本来ないはずだ。仕事をチャッチャと終えて夕方4時くらいから仲間とホッピー片手にハムカツでも食うべきである。働き方がおかしいから、都市労働者はストレスを抱え、夜中にamazonで「心地よい」とワード検索かけて、「えへへ」と邪まな検索結果を望んだものの、上から2番目にヒットしたのが「生き心地の良い町」というタイトルの本で、お疲れ気味なのか、なぜか当初の意図と関係なく買ってしまう。そんな私のような人間を生み出すことになるのだ。

 脱線したが、本書は専門的な研究結果を一般書向けに書いているためか、自殺というテーマを扱いながら重さを感じさせない。海部町での著者と住民の生々しいやりとりや風景描写から海部町の雰囲気が伝わってくる。何ともゆるいのだ。一升瓶片手に訪れてみたくなる。「こういう町って住むかどうかは別にしていいよね」って。自殺を予防する要素を研究しながら、こうした気持ちを読者から引き出すことが著者が本書を書く最大の動機だったのだろう。