第48回クルップ(その二)
第一回万博に大砲と鋼塊を出品。名誉と大金を得て拡大の一途をたどる

一八四八年は、近代史上、画期的な年だった。

一月、カリフォルニアで金鉱が発見された。アメリカは、メキシコからカリフォルニアを割譲させ自国領にした。
アルフレート・クルップは、この七月、ボンからケルンに至る鉄道のために、はじめて機関車用の車軸を納品している。
クルップ社への注文は二万ターレルに及ぶ、莫大なものだった。
従来から主力商品だった、硬貨や食器の製造機も、順調に受注額を増やしていた。

一八四九年、ついに兵器の生産に進出した。
テーゲル試射場での実験は、好成績をあげたが、参謀たちは採用を見送った。
クルップは憤ったが、応報の機会は、すぐに与えられた。
しかも、それは、願ってもない大舞台だったのである。

ロンドンでの、第一回万国博覧会である。
イギリスは、世界帝国の矜持をかけて、工業製品はもとより、帝国の豊かな風物や財宝を陳列した。

ところが、実際に観客の耳目を集めたのは、クルップ社の製品だった。
鋼鉄の砲身をもつ六ポンド砲は、特殊鋼による胸甲が装備されており、当時の歩兵銃では、まったく歯が立たない代物だった。

開会して約半年後、クルップは第二の展示品を会場に持ち込んだ。
総重量二トンの、鋼の塊だった。
二トンの鋼塊を製造できる工場は、当時、世界に存在しなかった。
クルップは、金賞を獲得し、ビクトリア女王から懇ろな褒詞を受ける名誉に浴したのである。
もちろん、得たのは名誉だけではなかった。
クルップは、十五万三千ターレル相当の手形を手にして、エッセンに帰郷したのである。

工場の労働者は倍増した。
クルップは、鉄道に目をつけた。
すでにヨーロッパは、鉄道の時代に足を踏み入れていたが、課題もまた、多かった。

鉄鋼製のレールは製造できたものの、軟鉄で製造した車輪は早々に摩滅してしまうし、硬鉄を用いるとレールに罅(ひび)が入る。

試行錯誤の後、継ぎ目なし車輪の製造に成功した。
『シベリア』と労働者たちに仇名されていた、巨大な旋盤を据えつけることで、難題を解決したのである。

さらに、ケルンの汽船会社からも注文が来た。ライン川を航行する二隻の汽船、『ストラスブルク』と『プリンツ・フォン・プロイセン』の、巨大な外輪軸の製造を依頼されたのである。