第47回クルップ(その一)
「死の商人」---軍需メーカーとして戦争の「発展」に大いに貢献する

二十世紀に書かれた戯曲のなかで、もっとも上演回数が多いのは、イヨネスコの『授業』、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』、そして三島由紀夫の『サド侯爵夫人』だそうな。

いずれも、コンパクトでありながら、光彩陸離とした作品で、手練れの玄人から、アマチュアの好事家までが舞台にかけられる、作品にしあがっている。
『サド侯爵夫人』は、女性ばかりの芝居で―女装した男優ばかりという演出もあったけれど―、男ばかりの芝居として、三島由紀夫は、『わが友ヒットラー』を書いている。
『わが友ヒットラー』は、いわゆる「長いナイフの夜」―ヒトラーによる突撃隊粛清事件―を背景として借りている。

この事件とその背景は、ルキノ・ヴィスコンティの映画『地獄に堕ちた勇者ども』にも用いられていて―ごく若い時期の、シャーロット・ランプリングの姿は必見です―、鉄鋼メーカーとして、ドイツを代表する軍需産業の内紛、相克を克明に描いている。

この軍需産業のモデルとされているのが、クルップ商会である。
一八一一年、フリードリヒ・クルップは、ルール地方のエッセンに、クルップ商会を創設した。

当時の事業は、鋳鋼が、その中心だったと云う。
それから、今日までの約二百年間、クルップ社は製鉄のみならず、ヨーロッパを代表する軍需メーカーとして君臨している。

すでに早々と近代国家としての骨格を確立していたフランスやイギリスの後塵を拝しながら、周回遅れの帝国主義として国際社会にデビューしたドイツにとって、軍需は、決定的な要素となっていた。

早くから、植民地を、世界各地に抱えていた、イギリス、フランス、スペインなどと違い、ドイツはもともと、小領主の結合体であり、明確な国家としてのプロフィールを備えたのは、普仏戦争以降の事だったのである。

プロイセンの宰相ビスマルクは、スペイン国王選出問題を利用してフランスを開戦へと挑発し、フランスに戦争の口火を切らせ、開戦後、二ヵ月で、ナポレオン三世を、フランスの北東部、セダンで包囲し降伏させた。

普仏戦争で、ドイツは領邦国家から自立した国民国家に脱皮したのである。

クルップ商会は、普仏戦争で、大いに、新国家に貢献した。
大量のクルップ砲と、弾薬を前線に素早く供給し、従来の、ナポレオン時代から踏襲されていた軍隊の移動を、鉄道により大幅に短縮した。

ちなみに、若き哲学者、フリードリヒ・ニーチェも、祖国ドイツの独立のために、前線に赴いた。

けれども、哲学者は、戦争の実際、前線の混乱と無軌道、殺戮と破壊に大きな衝撃を受け、以後、徹底的な平和主義者になり、ドイツ軍国主義に対して、強い批判を抱き続けた。