気を遣うメディアと、気を遣わせる視聴者の虚ろな距離感
Ian Bremmer 〔PHOTO〕gettyimages

昨年の暮れだろうか、何気なしに眺めていたNHKのニュース番組「ニュースウォッチ9」に妙な違和感を覚えて、つい音量を上げて、身を乗り出してしまったことがある。

画面には、同番組のキャスターとしておなじみの大越健介氏が、アメリカの国際政治学者イアン・ブレマー氏をインタビューする様子が映されていた。

ブレマー氏が創業し、社長を務めるニューヨークのコンサルティング会社ユーラシア・グループは、世界最大の地政学リスク専門コンサルタントとして、日本でも約40社の企業や政府系機関をクライアントに数えている。ブレマー氏自身は、様々な著書や、教鞭をとる米コロンビア大学のキャンパス、そして英紙フィナンシャル・タイムスのコラムなどで展開する斬新な分析に定評があり、同時に、その物議を醸す過激な論調と、時に挑発的な物言いでも知られている。

テレビに映ったNHKのインタビューでも、ブレマー氏は国際社会における日本の立場について、歯に衣着せぬ発言を繰り返していた。

「日本には確固たる防衛政策がありません。今後もそれは変わらないでしょう。とくに強固な外交政策もありません」

「中国は日本による投資をもう必要としていません。日本の知識も、さらには技術力も必要ではないと思うようになってきています。中国と日本の力関係の変化は東アジアにおける最大のリスクなのです」

「ダボス会議などの国際会議が、日本では行われていません。日本の良さを世界にアピールする場がないのです」

こうして氏の発言を文字に起こすと、それは良くも悪くも極端な物言いで知られるブレマー氏そのものである。だがその日「ニュースウォッチ9」に映っていたイアン・ブレマーは、なぜか妙におとなしく聞こえた。

それは、氏の声にかぶせられた日本語の吹き替え音声が、本人の英語より柔らかな口調になっているからだろうか? もしくは、英語の台詞を和訳する際に、原文ほど単刀直入な表現を使っていないからだろうか?

不思議に思い、背後にかすかに聴こえる英語音声に耳を傾けたのだ。

視聴者の主体性をないがしろにする「配慮」

「ニュースウォッチ9」のインタビューが放映されるちょうど数週間前、ニューヨークのユーラシア・グループの方のご厚意で、イアン・ブレマー氏にお会いする機会に恵まれた。

近年のアメリカの衰退によって、リーダー不在の状況に陥った国際社会。その将来図を描いた著書『「Gゼロ」後の世界 主導国なき時代の勝者はだれか』をもとに、ブレマー氏は、日本がとるべき政策を熱心に語って下さった。その鋭敏な視点とダイナミックな存在感に、私はすっかり魅了された。

それだけに、「ニュースウォッチ9」に映された淡白なインタビュー映像は、不自然に思えてならなかった。ブレマー氏が多用する力強いハンドジェスチャーが、すっかり落ち着き払った日本語の吹き替え音声と、どうしても釣り合わないのだ。

私の中に、一つの疑問が芽生えた。イアン・ブレマーの物言いに視聴者が反感を覚えるのを懸念して、日本語の吹き替えを、あえて和らげているのだろうか?

テレビの音量を上げてみても、あいにく日本語音声が邪魔をして、もとの英語はほとんど聴こえない。だがところどころ、日本文が英文より短いため、もとの台詞の文頭や文末がかろうじて聴きとれる箇所があった。そしてこの英語と、吹き替えの日本語を比べると、ニュアンスの違いが気にかかった。

例えば、経済成長著しい中国のGDPが、いずれアメリカのそれをも上回るであろうことについて。日本語の吹き替えは、米中の力関係のシフトが「スムーズにいくとは思えません」としているが、実際のブレマー氏は、「スムーズにいくのはほぼ不可能である("…it is almost impossible…")」という、より強い言い回しを用いていた。

また日本のTPP参加について、吹き替え音声は「日本は参加すべきです」という「提案」に留まっているが、原文は、「日本は参加しなければならない("…Japan must do this…")」という、「提案」よりはむしろ「断言」に近い表現が使われていた。

些細な違いと思われるかもしれないが、こういった言い回しの差異の積み重ねで、表現の全体的な印象はずいぶん変わる。元の台詞の大半が聴こえないため真相は分かり得ないが、ともすると「ニュースウォッチ9」は、視聴者の心情に配慮し、アクの強すぎるイアン・ブレマーを「中和」してお茶の間に届けようとしたのだろうか?

そう首をかしげているうちにインタビューは終了し、映像はNHKのスタジオに切り替わった。神妙な表情でたたずむキャスターの大越氏をカメラが捉えると、氏は視聴者に向かってこう語り掛けた。

「ストレートな物言いに、反発を覚えたという方もいらっしゃるかもしれません。しかし(中略)甘い認識からは早く抜け出す必要があると、インタビューをしながら痛感しました」

吹き替え音声でブレマー氏の発言を和らげる意図が、NHKにあったかは分かり得ない。だが少なくとも、キャスターのこの発言から明らかなのは、「ストレートな物言い」によって視聴者が気を悪くしてはならないという、「ニュースウォッチ9」の気遣いの姿勢である。

だがメディアが気を遣い、視聴者が気を遣われるという関係は、果たして健全だろうか?

たしかにイアン・ブレマーは挑発的な論客であり、氏の日本に関する発言(いや日本に限らず、さまざまなトピックに関する発言)には、違和感を覚えさせられる場合が多い。一方で、その極端な物言いがゆえに、氏の斬新な視点が浮かび上がり、思わぬことに気づかされる場合もまた多い。

いずれにせよ、メディアが紹介する氏のあらゆる発言を、視聴者はすべて信じる必要はない。いやそれどころか、氏の発言の有効性を自らの判断で見極め、独立した思考をもって解釈する権利、そして責任が、視聴者にあるはずではなかろうか。

視聴者にこうした主体性があるにも関わらず、「ストレートな物言いに、反発を覚えたという方もいらっしゃるかもしれません・・・」とメディアが弁明するのは、場違いに思えてならない。

その台詞は、視聴者の反感を招かないように、受け入れやすい形に情報をお膳立てするまでが、メディアの役割であるかのように思わせる。だが本来、報道の受け止め方は視聴者次第であり、メディアによるこの種の「配慮」は、一見親切に見えるものの、じつは視聴者の主体性をないがしろにする行為に他ならないのだ。

同時に、これはメディア側だけの問題ではないかもしれない。

与えられた情報を自ら解釈し、その有効性を見極めるといった主体性を、我々視聴者自身が、放棄してしまっているのもまた事実ではなかろうか。そう思わされる場に、直面することも多い。

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