読書人の雑誌『本』
『戦国大名の「外交」』著:丸島和洋
歴史研究者と戦国大名の距離感

また、家族に関する願文(がんもん)には、身近な人間への愛情が溢れている。次男龍芳(りゅうほう)が重病を患って失明した際には、自分の眼と交換してでも息子の眼を治して欲しいと祈願している。長女の出産にあたっては、安産祈願のために関所を撤廃し、地元の人々が勝手に関所を再設置したと知ると、矢も楯もたまらず自筆で関所の再撤廃を命じている。年若い側近に対しては、恩賞を与えると同時に品行に苦言を呈し、厳しく育てようとする教育方針が窺える。

永禄一二年に、将軍足利義昭と織田信長の仲介で、上杉謙信と和睦した時の話も面白い。この和睦は、北条・上杉両氏に挟撃されるという窮地を脱するうえで、重要なものであった。しかし長年敵対した相手との和睦である。武田家臣の間では、上杉謙信は信頼できない、西上野(こうずけ)の防備を固めるべきだ、という声があがった。

それに対し信玄は、心配することはないと家臣を励まして駿河に出陣している。それでいて、あろうことか諏訪大社に「越後で潰乱が起こり、謙信が信濃や西上野に攻め込んで来ませんように」と祈願しているのだ。和睦中でありながら、上杉謙信の本国越後の混乱を望んでいたのである。このようなしたたかな姿勢が、信玄の魅力なのかもしれないし、虚々実々の外交の実相ともいえるだろう。ただ筆者としては、正直身近にいて欲しくない。

先ほど筆者は、研究対象とは距離を取るようにしていると書いた。しかしどうしても、それなりの思い入れが湧くことは避けられない。この距離感をどう保つかは非常に難しい。

さて、いつの間にか武田氏は、最も研究が盛んな戦国大名となった。今度はこれを戦国大名研究の中で位置づける作業が待っている。それが次の課題である。

(まるしま・かずひろ 国文学研究資料館特任助教)

 
◆内容紹介
戦国大名たちは合戦だけをしていたわけではない。 和睦や軍事同盟、領土交渉という「外交」を、 活発に行って戦国時代を生き抜かんとしていた。 武田信玄・今川義元・北条氏康による 名高い「甲駿相三国同盟」の成立の舞台裏をはじめ、 文書と交渉者「取次」が飛び交う、 外交の現場を生々しく描き出す。 最新の戦国期研究の成果がここにある!
 
丸島和洋(まるしま・かずひろ)
1977年、大阪府に生まれる。慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(史学、慶應義塾大学)。現在、国文学研究資料館研究部特任助教。専攻は、日本中世史(戦国大名論)・古文書。