読書人の雑誌『本』
『戦国大名の「外交」』著:丸島和洋
歴史研究者と戦国大名の距離感

筆者は、戦国大名、特に甲斐武田氏を研究対象に、大名同士の外交のあり方を中心に研究を行っている。今回、その成果の一端を、講談社選書メチエから『戦国大名の「外交」』という形で上梓させていただいた。

さて、「武田氏を研究しています」と言うと、必ずといっていいほど「山梨県のご出身ですか?」という質問を受ける。ところが、筆者は大阪生まれの東京育ち。山梨県とは縁もゆかりもない。ただ筆者が大学で戦国時代の研究を始めた頃、戦国大名研究の最先端をいっていたのは、相模の小田原北条氏であった。一般にはあまり馴染みがない大名だが、研究者の世界では非常に存在感が大きい。

その北条氏と長年同盟関係にあり、北条氏から様々な影響を受けた大名が、武田氏なのである。それでいて、室町幕府の重臣出身の伊勢宗瑞(いせそうずい・いわゆる北条早雲(そううん))が駿河今川<氏の客分から台頭し、戦国大名化した北条氏とは違い、武田氏は守護として長年甲斐国を治めてきた存在である。戦国大名としての性格は似ているのに、成り立ちはまったく違う。それを比較研究したい。これが筆者が武田氏を研究対象に選んだ理由である。

------というのはもっともらしい後付け。「武田二十四将」と呼ばれる優秀な家臣団に、ゲームなどを通じて子供の頃から興味を持っていた、というのが本当のところである。好きこそものの上手なれ。入り口は何でもよいのだ。

また、筆者の実家は個人商店から株式会社に発展した企業を経営していた。子供ながらにそれを眺めていると、創業者である祖父が社員を強引にでも牽引するタイプであったのに対し、父は社員と一緒に物事を考えるタイプに見えた。それでいて、温厚な父が時に冷徹な決断を下す姿も眼にした。こうした企業は、特に経営者の個性が強く社風に反映される。しかしながら、社員の方の力がなければ会社は決して動かないことも理解できた。そういう組織のあり方に、いつしか興味を持つようになった。つまり筆者の研究の出発点は、戦国大名よりもその家臣団にあったのだ。

さて、趣味的な動機から入ったがために、筆者は意図的に戦国大名やその家臣に思い入れを持たないよう心懸けている。対象を冷静に分析するには、少し距離を置いて見つめる必要があると思っているからだ。また本音を言うと、武田氏研究者と言われることもあまり好まない。筆者の研究対象は武田氏だけではなく、北条氏や織田氏、九州の有馬氏・相良氏・島津氏と複数の大名にまたがる。偉そうにいうと、自分はあくまで「戦国大名の研究者」なのだというつもりなのである。

とはいえ、研究の中心が武田氏であることは間違いない。だから日頃から、武田氏の新出史料を探そうと心懸けているし、ありがたいことに情報も集まってくる。その中心が、高野山で行っている過去帳(厳密には供養帳という)の調査で、毎年二回は登山している。

高野山には、多くの宿坊(子院)が存在するが、実はまだほとんど調査がなされていない。そのなかで、筆者は武田氏の菩提所である成慶院(じようけいいん)(現櫻池院(ようちいん)・成慶院(せいけいいん))において史料調査を進めている。調査をさせていただけませんかとお願いをしてから三年目、ようやくお寺の方々の信頼を得ることができた。お寺に入ると、そこには戦国時代から現代までの膨大な過去帳の山が、まったく手つかずのまま残されていた。それを発見した時は、興奮のあまり歓声を抑えることができなかった。

 
◆内容紹介
戦国大名たちは合戦だけをしていたわけではない。 和睦や軍事同盟、領土交渉という「外交」を、 活発に行って戦国時代を生き抜かんとしていた。 武田信玄・今川義元・北条氏康による 名高い「甲駿相三国同盟」の成立の舞台裏をはじめ、 文書と交渉者「取次」が飛び交う、 外交の現場を生々しく描き出す。 最新の戦国期研究の成果がここにある!