第46回 石橋正二郎(その三)
理屈なしに「洋画」が好き---層の厚い粒揃いの圧巻コレクション

石橋がアメリカを訪れた際、住宅を美術館にしているコレクターが何人もいた。

私も少しコレクションを持っているのだし、場所もいいから(美術館を)一つ記念につくろうと思い立った。(中略)ただ絵について特別に勉強した経験もなく、口の悪い批評家のこと、つまらぬものを集めたと笑われはしないかビクビクした。そこで美術館を開くに値いするかどうかこの道の大家にみてもらったら非常にいい趣味だとほめてくれ、とてもうれしかった。武者小路実篤さんなどは『これは好きで自分が集めた絵だね』というふうに直感されたくらいだ。ルーブルの人たちからも『少しも疑わしいものはない。みんな粒ぞろいだ』とおほめの言葉をいただいている」(『私の履歴書』)

石橋は勝負ごとは嫌い、仲間と騒ぐのも苦手、絵は好きだけれど自分では描かず、本も読まない。
ほとんど無趣味という人柄だ。
絵は好きだが、日本画は苦手だった。洋画が「理屈ではなしに好き」だという。
当時、美術品といえば書画骨董がスタンダードだった。
洋画は、当時、コレクターの間では、そんなに人気がなかったので、手に入れやすかったというのだが・・・・・・。

実際のところ、コレクターとしての石橋の眼力、審美眼は図抜けたものだと云うべきだろう。
クロード・モネ、ポール・セザンヌ、オーギュスト・ルノワール、ポール・ゴーギャン、ファン・ゴッホら印象派の巨匠から、パブロ・ピカソ、アンリ・マティス、ジョルジュ・ルオー、そして藤田嗣治や岡鹿之助、佐伯祐三といった日本人の画家たちの、層の厚いコレクションは、圧巻の一言としか云い様がない。

さらに素晴らしいのは、ブリヂストン美術館を、東京の一等地に建てたという事だろう。
ボリュームのある、粒揃いのコレクションを集めている美術館は、東京にはいくつもあるだろうが、鑑賞者の利便も含めて、気軽に、時間を気にせず、鑑賞できる空間を提供する事は、なかなか実現できるものではない。
絵だけでなく、生活も、もっぱら洋式で、三十を過ぎてからはすべて家も洋式にし、畳を排除して子供たちもベッドで育ったという。

昭和二十六年、石橋正二郎は、富士精密を買収した。
その経緯について、正二郎は「少し入りくんでいる」と語っている。
絵画の関係でつきあっていた鈴木という人の婿が、戦時中、飛行機の技師をしていた。

戦後、仲間を集めて電気自動車を製造していた。
当時、タイヤの配給は統制されていたので、新興メーカーには、なかなか割り当てがなかった。
それで石橋に頼んで、タイヤの入手について便宜を図って貰おうとしたのである。
石橋は、タイヤを融通してやったが、月産三十台から、どんどん生産量は増えていった。