池井戸ドラマ『半沢直樹』と『七つの会議』がドラマ界に与えた影響は高視聴率のインパクトだけではない!!
NHK『七つの会議』公式HPより

TBS日曜劇場『半沢直樹』が熱烈な支持を集めている。原作は池井戸潤氏の小説。やはり池井戸作品を原作としたNHK『七つの会議』(8月2日終了)も、高視聴率こそ得られなかったが、秀逸な作品であり、ビジネスマンたちの間では好評を博した。

これまで、「松本清張ドラマ」「城山三郎ドラマ」「山崎豊子ドラマ」などが、多くの視聴者に愛されてきたのと同じく、池井戸ドラマも本格的なブームを迎えたように見える。それは、おそらく時代の要請なのだろう。

公益より社益が優先される"日本型企業の怖ろしさ"

前述した三作家のドラマでは、昭和の組織や人間たちが描かれたが、池井戸ドラマの舞台は平成。これだけでも大きく違う。昭和という時代は、終焉するまで敗戦を引きずらざるを得なかったが、平成には、もう一つの敗戦が加わった。バブルの崩壊だ。池井戸ドラマからは、第二の敗戦の責任を背負わされたビジネスマンたちの怨嗟を感じる。生々しい。だからこそ、魅力的だ。

それだけではない。時代が平成になると、規制緩和やIT化の波により、ビジネス社会は瞬く間にグローバル化を余儀なくされ、日本型企業も表向きはそうなったが、多くの企業の中身は旧態依然としたまま。この問題も池井戸ドラマは鋭角的に突いている。コンプライアンスが徹底されず、法律や社会通念よりも社内ルールが幅を利かせ続けているから、粉飾決算や背任・横領、不祥事隠し、パワハラやセクハラなどの問題が後を絶たない。

泣かされているのはビジネスマンたち。しかも現場の人間だけではなく、中間管理職はおろか、経営陣も決して幸せそうではない。そんな現代のビジネスマンたちの悲哀も池井戸ドラマには深く刻み込まれている。

『七つの会議』もそうだった。電機メーカー内において、重大事故につながる「ネジの強度偽装」の隠蔽を強いられた営業一課長・原島(東山紀之)と、それを指示した社長(長塚京三)や営業部長(石橋凌)たちの群像劇なのだが、勝者は誰一人としていない。全員が傷ついた。「強度偽装」は社会への著しい背信行為だが、登場人物たちの中には極悪人もいない。登場人物たちを狂わせたのは、悪しき日本型企業の体質だった。

「七つの大罪」とは、キリスト教で人間を罪に導く「傲慢」や「嫉妬」などの感情や欲望を指す言葉だが、『七つの会議』の登場人物たちは会社を守るための会議を重ねるうち、社会を欺く大罪への道へと突っ走り始める。強度偽装はコストダウンのため、つまり、社益のためで、私利私欲ではなかった。だからといって、許されるはずがないのだが、「会社のためにすることなら、すべて認められる」という邪悪な風潮は、昭和の時代から日本型企業の一部に根強くある。それをドラマは断罪した。平成の世だからこそのテーマだった。

物語のエピローグでは、原島が公益告発者となり、事故は未然に防がれた。けれど、原島はヒーローになったわけではない。会社では、上司はおろか、部下からも罵声を浴びせられる。公益より社益という考え方を持つ者が大半だったためだ。おそらく、実社会でも同じ考え方の人が少なくないだろう。

けれど、そんな考え方でグローバル化の波やコンプライアンス社会を乗り切れるのだろうか。そもそも人間として正しい姿なのか? 池井戸ドラマには、重たいメッセージが込められている。メガバンク・東京中央銀行内の背信行為を描いている『半沢直樹』も同じだ。

「滅私奉公」が美徳とされた昭和のビジネスマンと、「個人」や「社会」を優先させたい平成のビジネスマンでは、考え方に差異がある。育った環境が違うのだから、当たり前だ。受験、出世で厳しい競争を強いられた団塊の世代と若いビジネスマンたちのマインドは決定的に違う。そんな変化に対し、これまでのビジネスドラマはついていけてなかったのではないだろうか。「新しい酒は新しい革袋に盛れ」という言葉の通り、池井戸ドラマが視聴者に歓迎されるのは必然だったのだ。

『七つの会議』では、東山紀之の演技も良かった。会社から不正を指示された平凡なビジネスマンの苦渋を見事に体現した。物語のプロローグでは爽やかに見えた東山の表情が、インモラルな行為を強いられるうち、次第に幽鬼じみてくる。東山の端正な顔が歪み、白髪も増えてくる。まるで現代版の怪談だ。

実際、今の世の中で、げに怖ろしきは日本型企業なのかも知れない。若者たちに忌み嫌われる「ブラック企業」とも通底する問題だろう。東山は『半沢直樹』に主演する堺雅人と今年度のドラマ各賞の演技賞を争うに違いない。

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