賢者の知恵
2013年08月13日(火) 週刊現代

感動読み物 有名人が語った苦難こそ、人を作る【第2回】西山太吉「汚名を着せられた日々はムダではなかった」/野村克則「いま、やっと両親の気持ちがわかった」ほか

週刊現代
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第1回はこちらをご覧ください。

西山太吉 元毎日新聞記者
「汚名を着せられた日々はムダではなかった」

「今年の2月に妻、啓子を亡くしました。以来、眠れない日々が始まりました。どうやっても寝付けず、夜中に家の外壁のペンキを塗ったり、台所を片づけたり、そうやって『今』をうっちゃるのに必死でした。浅い眠りに落ちるのは連日、明け方の4時すぎ。死んだほうが楽になれる、と何度も思ったものです。死にたいと思ったのは、あの事件以来のことでした」

 そう語るのは、昨年、ドラマ「運命の人」のモデルとして注目を集めた西山太吉(81歳)だ。沖縄返還をめぐる密約が記された秘密電信文を、外務省の女性事務官から「情を通じて」入手したとして、国家公務員法違反容疑で逮捕されたのは'72年だった。

 以降、西山の理解者であり続けた妻の死だった。

 事件当時、西山は40歳。働き盛りのスクープ記者だった。事件の影響で毎日新聞社を辞職。裁判は一審は無罪だったが、最高裁で有罪が確定した。一方、西山が追及しようとした「アメリカが支払うべき軍用地の復元補償費400万ドルを日本政府が肩代わりする」という密約は、うやむやになってしまった。

「国の嘘は放置され、私の取材手法だけが問われたのです。メディアが問題の本質から目を逸らし、スキャンダル報道に終始した結果でもありました。

 会社を辞めてからは郷里の北九州に戻り、ギャンブルと酒に逃げた。暗闇を歩くような日々でした。薬を飲んで死のう、と何度も思いました。でも、かろうじて踏みとどまったのは、このまま死んだら、嘘をついた国に負けることになる。『コンチクショウ』という思いからでした」

 事件から28年後の'00年と'02年。密約を裏付ける米公文書が明らかになる。

「『いつかきっと、あなたが正しいことが証明されるわよ』。事件直後から、妻が口にしていた言葉通りになったのです。でも、政府は根拠も示さずに否定を続けました。逆に、闘うファイトが湧いてきましたね」

 '09年、西山は作家の澤地久枝らとともに、密約文書の情報公開を求める裁判を起こす。東京地裁では完全勝訴したものの、高裁で逆転敗訴し、最高裁に上告中。国はいまだに密約を正式には認めていない。

「妻を亡くした後、もう死んでしまおうと思ったこともあったけど、そうできなかったのは、最高裁判決を見届けなければ、という思いがあったから。それに、まだやることがあるんです。沖縄返還交渉の経緯を詳細に記録した米公文書を解説する本を出すことになっています。それが最後の仕事になるでしょう。

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