第43回ポール・ゲティ(その三)
孫を誘拐されても身代金を払わない。美術コレクションに有り金を費やした

一九七三年七月十日。ゲティの孫であるポール三世が、ローマで誘拐された。
ポールは、ローマのヒッピー・コミュニティの寵児で、その奔放な生活により、パパラッチの絶好の標的になっていたのである。
七月二十六日、ローマ警察が、身代金を払うつもりがあるか、とゲティに問い質した。

私の返事はノーだったが、それには二つの理由があった。第一の理由は、ほかにもまだ孫が十四人いた。身代金の支払いに応じたら、十四人の孫がいっぺんに誘拐の危機にさらされてしまう。特にローマにいるポール三世の兄弟たちが心配だった。ローマでは、一九六三年から一九七三年にかけて、わかっているだけでも三百二十件の身代金目当ての誘拐事件が発生していた。内密に誘拐犯に身代金を払い、警察に届けなかった事件を入れれば、件数はその二倍になるという見方もあった。第二の理由はもっと大局的な立場での考えだった。犯罪者やテロリストの要求に屈するのは、不法行為や暴力の増加、まん延を助長するだけだ、というのが私の意見である」(『石油王への道―世界一の富豪 J・ポール・ゲティ回顧録』青木栄一訳)

誘拐したグループは、四ヵ月たってから、ポール三世の耳を切り取って、ローマの新聞社に送りつけてきた。

耳を切り取るほど残忍な連中ならば、人など平気で殺すに違いない―そう考えたゲティは、家族会議を開き、犯人に身代金を払うことにした。身代金は、莫大なもので―メディアが推定した額は、実際に支払われた額よりも、格段に安かったという。

十二月十五日、犯人グループはポール三世を解放した。奇しくも、その日は、ゲティの八十一歳の誕生日だった。

三世は、解放された後に結婚し、カリフォルニアに引っ越した。
三世は、カリフォルニアのペパーダイン・カレッジに入学した後、画家を志した。

ゲティは、美術コレクターとしても、よく識られている。
コレクションのきっかけになったのは、レンブラントの『Marten Looten』像だった。
かつて『Looten』像は、オランダのコレクター、アントン・W・メンジングが所有していた。

メンジングは、祖国の至宝を守るべく、二十万ドルを払ったという。
それから十年後、メンジング・コレクションが売りにだされた。ゲティは、オランダの画商に連絡をとり、十万ドルまで入札してくれ、と依頼したという。

ラファエロの作品を二百ドルで買った

『Looten』像は、六万五千ドルで落札した。
ゲティは狂喜したが、その後、ちょっとしたトラブルに見舞われた。
オランダで『Looten』像を買い戻すための国民運動が繰り広げられたのである。
だが結局、オランダ国民は、買い戻すだけの金を積む事が出来なかった。
ゲティは、美術記者という触れ込みで、オランダ美術の権威である、ヴァン・ディレン教授に面会を申し込んだ。