歳川隆雄「ニュースの深層」
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100万票も得られず政治生命を絶たれた小沢一郎には 田中角栄や床次竹二郎の晩年の姿が重なる

2013年07月27日(土) 歳川 隆雄
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参院選を前に党首討論会に出席した [Photo] Bloomberg via Getty Images

 平成政治史の観点からすれば、常に政局の渦中にあってメディアを賑わせてきた「政界のヒーロー」、小沢一郎生活の党代表の政治生命は完全に絶たれたと言っていいだろう。

 今回の第23回参院選で生活の党は、選挙区も比例代表区も獲得議席ゼロに終わった。「小沢王国」の岩手でも、かつては小沢氏の忠臣であった平野達男前復興担当相(無所属)に惨敗。自民党の田中真一候補の得票にも7万票以上の差を付けられた。平野氏約24万票、田中氏約16万票、そして小沢氏が擁立した関根敏伸候補約9万票という、惨めな結果となった。

 長年「選挙の神様」と持て囃されてきた小沢氏も完全にメッキが剥げてしまった。
 小沢氏の生活の党は、比例選で約94万票(政党名では約72万票)、得票率は僅か1.77%に過ぎない。これまで永田町関係者の間では、全国に小沢氏の熱烈な支持者が約250万人いるというのが通説であった。かく言う筆者もその「小沢神話」を信じてきた一人である。

命運が尽きたのは民主党を離党した頃

 思えば、自民党を離党して93年7月衆院選で同党を下野させて、非自民の細川護煕連立政権を樹立したのはちょうど20年前のことだった(奇しくも、参院選投開票日の翌日の7月22日は、20年前の同日に宮澤喜一首相が退陣表明した日でもある)。

 それ以来、小沢氏は与野党の行き来はあっても日本政界のキーマンであり続けた。

「わが国に政権交代可能な民主主義を定着させる。2大政党時代を築きたい」と言ってきたが、実際はその時々の最高権力を握ることが小沢氏の目的でもあり、権力闘争に負けても、一定の力を常に保持しリベンジを必ず図ってきた。

 しかし、反消費増税、反原発を背負って民主党を離党したあたりから、小沢氏の命運は尽きたと言えよう。

 

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