読書人の雑誌『本』
『ヒゲの日本近現代史』著:阿部恒久
「ヒゲの歴史」を書く

 ヒゲを生やした男性を近年よく見かける。一〇代の若者から定年退職期を迎えた団塊世代まで、年齢にはあまり関係がないようだ。若い時分には量も少なく簡単に剃れていた私のヒゲは、五〇歳を過ぎた頃から少しずつ増え、皮膚が弛(たる)んできたせいか剃りにくくもなった。くわえて、二〇〇一年の九・一一同時多発テロ事件のとき、豊富なヒゲを蓄えた犯人たちの顔が繰り返しメディアから流され、ヒゲが強く印象づけられた。

 こんなことからヒゲを意識するようになったのだが、それは私だけだろうか。私はこれまで明治期の新聞・雑誌類をかなり見てきたので、当時の官僚・知識人の多くが豊富なヒゲを蓄え、「男の威厳」を演出しようとしていたことは知っていた。だが、その前後を含む近現代日本全体のヒゲの有り様の推移については、ほとんど知らなかった。

 調べてみてわかったことだが、明治天皇は維新後もしばらく、ヒゲを生やしていなかった。だが、諸外国に国家元首としての写真を配付する必要が生じたこともあって、一八七三(明治六)年頃からは、細い八の字髭を生やしていた。また、平民宰相として知られる原敬は、官僚時代の一時期を除いてヒゲを生やしていなかった。明治期以来、権力性を帯びたヒゲを排除したことに、大正期の政治性を見ることができるのではないだろうか。

 さて、私はヒゲをめぐる状況が変化する理由を、(1)権力側の働きかけ、(2)外国文化の影響、(3)女性の目線、(4)器具の発達、の四つと考えているが、明治天皇がヒゲを生やしたのは(2)の最たるものであろうし、原敬がヒゲを生やさなかったのは、(1)の裏返しといえるのではないだろうか。

 これまで私は近現代日本の政治史・地域史などとともに女性史を専攻してきたが、女性史においては男性一般だけが問題とされることに不満をもつようになっていた。そして、男性は政治的権力から男性としてどのような生き方を強いられてきたのか、それを自らどのように受け止め行動してきたのか、という観点から、「男らしさ」「男性性」の歴史に関心をもつようになった。そのとき、ヒゲを含む「男の身装」の歴史が研究課題として浮上してきたわけだ。

 近年、「身装」という言葉が使われるようになってきた。それを意識的に使い始めたのは高橋晴子氏であろう。

 従来、化粧・髪型・服装など個別の歴史研究はあったが、高橋氏は「文化論的な人間把握」の観点から、「顔を中心とした頭部」「服装をふくめての全体的な容姿」「からだの動き―動作、しぐさなど」をすべて包含した概念として「身装」という言葉を用い、一八六八~一九四五年を対象に、新聞・雑誌・小説などに記載された文章・画像を丹念に拾い上げてデータベース化し、それをもとに近代日本の「身装文化」の歴史を描いた(『近代日本の身装文化―「身体と装い」の文化変容』二〇〇五年一二月、三元社・『年表 近代日本の身装文化』二〇〇七年四月、同)。

 私は、その斬新な見方に惹かれた。だが、この両書においては、対象のほとんどが女性であった。もちろん、男性の身装にまったく言及がないわけではなく、とくに服装については散見されるが、それも不十分だった。

 
◆ 内容紹介
ヒゲに見える興味深い日本近代史。
ヒゲを蓄えることは男らしさや権威の象徴と考えられるわけですが、ある時代には公権力によってヒゲが禁止・抑制されたこと、またある時代には公権力自らが権力性を誇示するために利用したことなどを知ることで、ヒゲが時代を映す鑑とも考えられるのです。