読書人の雑誌『本』
『笑いの花伝書』著:滝大作
異説の書

 昭和8年生まれの私は、戦時下の幼少年期を東京西郊外の中流住宅街で過ごした。戦前のあの辺りは未開の村社会で、各家庭内の小さな出来事もあっという間に地域全体に広がってしまう息苦しい環境下にあった。

 何よりも異端を嫌い、増幅された無責任な噂が飛び交う村社会の底辺で、われら少年少女は周囲の大人たちの期待に応えるべく、日々必死の思いで生きていた。私は両親の希望どおり学校の成績は常に上位を保ち、将来は海軍軍人になって国に尽くす気になっていた。日常の生活でも、宮城遥拝は毎朝欠かさず、遊び仲間たちが行く映画見物なぞ見向きもせず、村社会で評判の優等生らしく刻一刻息も抜かずに振る舞っていた。

 しかし、その裏側で読書少年でもあった私が密かに求めていたのが、大人たちが押し付ける英雄伝や忠臣孝子の物語ではなく、息苦しい現状を一撃の下に打破する常識破りの異説の書だった。私だけが例外ではない。いつの時代でも鋭い感性を持った若者たちは、押し付けられた閉鎖状況を打ち破る異説を待望してきたに違いない。その感性が無ければ彼らはただの若年層であって、若者とは言えない。

 私が待望の異説の書を手に入れたのは、大日本帝国が崩壊し、その結果、私を取り囲んでいた村社会が消滅した後だった。中学生の私が手にしたその異説の書は太宰治だった。

 太宰文学は、繰り返す心中事件や薬物中毒による入院生活といった破滅型の実生活の裏付けもあって、戦時下の教育勅語と軍人精神一色の精神風土に背を向けた内容を平易な文体で書き上げていて、中学生にも読み易く私はたちまち太宰文学の虜になった。

 しかし、左翼思想や聖書の文言に怯えて、大地主の出を恥じたり、生まれてすみませんなどと弱音を吐く弱者の文学には現状を打破する異説としてのパワーは無く、私はその代表作「人間失格」を最後に太宰治と縁を切った。

 振り返ってみると、戦後、私がまっ先に手に入れた真の異説の書は間違いなく坂口安吾の「堕落論」だった。大君に捧げた命を永らえた若者が闇屋となり、けなげな戦争未亡人が他の男に心を移す、坂口はそんな世相を「人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ」と喝破し、さらに「人々よ、堕ちよ、生きよ!」と煽り立てた。

 この論文に感動した私は、まず天皇制国家用の優等生の仮面を外し、学校からドロップアウトして街を彷徨する不良少年になっていた。その生き方が私なりの、堕ちよ、生きよの実践だった。日々繁華街をうろつき、新宿、浅草のストリップ劇場に潜り込んで数多くのコメディアンの舞台に接した経験が後年、私に大きな収穫をもたらした。その集大成が7月に講談社から上梓される『笑いの花伝書』である。

 
◆ 内容紹介
この本では、コント55号、赤塚不二夫、てんぷくトリオ、由利徹、そして立川談志といった芸人たちに絶大な人望のある喜劇界の第一人者・滝さんが豊富な実例とともに、いま求められる芸人の資質について考えていきます。 滝さんが集大成として後世に残す喜劇論、「笑い」を志す人もただ笑いたい人も必読です。