『人はなぜ傷つくのか』著:秋田巌
魂は症状を利用する

 私は精神科医。それと京都文教大学という大学で教えるようなこともしている。この大学は、(今のところ)全国的に無名なことはもとより京都の人でさえほとんど知らない。逆に、臨床心理学に携わっている者なら誰でも知っている臨床心理学界内では超有名校であるが、携わっている者の数がたかだか知れている。大学自体の知名度を上げないことには少子化の大波に吞み込まれ、大学は潰れ、私は路頭に迷う危険がある。

 それゆえ、というわけだけでもないが、世界にとって真に意義ある大学とすべく平成一九年より私が中心となり日本的精神性研究なるものを行っている。その一環として今年の四月より、文楽の桐竹勘十郎さんと歌舞伎の中村獅童さんに客員教授としてご着任いただいた。これからも続々と、古典芸能を中心とした客員教授を増やしていくつもりであり、そこには壮大なる私の意志が働いているのであるが、残念ながらこれは超機密事項に属するゆえ構想を具(つぶさ)に述べることはできない。

 この大構想を実現すべく、まずは体力をつけるべしと三〇年ぶりに竹刀を振りまわしていたら、巨大なる肉離れが発生した。前途は危うい。

 そこで穏やかなるウォーキングなら大丈夫かと思い、瀬田川のほとりを歩いていたら、信じられぬことに川に落ちた。健康法でなければ大丈夫かと思い、ただ単に歩行していたところ、さらに信じられぬことに転倒して骨折。

 若ければそもそも転ばなかっただろうし、転んだとしても手をすりむいたぐらいで終わったのであろうが、橈骨頭(とうこつとう)骨折! その日の夜の謝恩会には何とか最後まで席を外さなかったものの、徐々に痛みが激しくなり、夜間救急に駆け込む始末。「骨折です」。歳はとりたくないものだ。

 だが、思わぬよいこともある。卒業式にゼミの女子学生から「先生、最後ですから抱きしめてください」などと言われてしまった! というか言っていただいた。女性からこんなことを言われるのは、ひょっとして初めて?? セクハラを心配しつつ、隣にいた同じゼミの男子学生に「こんなこと言うてはるけど、大丈夫やろうか」と聞いてみたところ、「羨ましいです」と言われたのに気をよくし、二人ほどハグさせていただいたのであるが、左腕を骨折していたため、適度の距離が取れ、ほどよいハグができた・・・・・・かもしれない。

 同僚に五秒ほどだったと報告すると、「それは長すぎる。普通一秒だろう」と言われてしまった。ハグの適正時間が何秒かよくわからないが、「抱きしめる」について貴重な勉強となった。臨床心理学の領域では、温かく見守る、という言葉がよく使われるが、これは「抱きしめる」にもつながる。その場に応じて適切に「抱きしめる」ことがいかに難しいか。「身体性」についての認識が深まった。

 悪しきことが昂じた、というほどのことではないが、骨折によって思わぬ成果が得られた。転んでもただでは起きない心を持っていれば、大抵のことならより重層的な自己の「開け」へと転じさせることができる。

 前著『さまよえる狂気』にて、そのあたりのところを「傷と舞う」「狂と舞う」などという表現を用いつつ叙述した。そしてこの度、講談社選書メチエより『人はなぜ傷つくのか―異形の自己と黒い聖痕』という本に発展・上梓できる運びとなった。読めばわかる!

 
◆ 内容紹介
「人はなぜ傷つくのか? それは、人が人になるためだ」。ブラック・ジャックを始めとするマンガ、「ゴジラ」を始めとする映画、テレビドラマに見られる「ブラックな」キャラクターなど、日本文化固有の「傷」の表象の彼方に、文化の固有性を超えた普遍的な人間の実存の表象を見る。ユング、河合隼雄の業績を継ぐ、ユング派心理学の意欲作