第41回 ポール・ゲティ(その一)
「石油王」と呼ばれた世界一の富豪---雑役に従事した、叩き上げの日々

 ポール・ゲティは、初代ビーバーブルック男爵―チャーチル内閣の航空機生産大臣として、バトル・オブ・ブリテンを指揮した―となったマックス・エイトケンの言葉、「人生には私の指定席があらかじめ用意されていたのではなかったか。いつもそんな気がしている」を引きつつ、彼への共感を端的に表している。

マックスのことばは、人生の不公平をずばりとえぐり出している。能力の差、不思議な力、あるいは偶然が左右しているとはいえ、いかにも人生に予約席を買って生まれたかのように見える人々がいる。もし、それが事実だったら、当人が自分の特別席に罪悪感を抱いたり、立っている人にきがねしたりすることは、馬鹿げた時間のむだに違いない」(『石油王への道―世界一の富豪 J・ポール・ゲティ回顧録』青木栄一訳)

 一九〇三年、ポールが十一歳の時、父親であるジョージ・F・ゲティの資産は、二十五万ドルあったという。父親は弁護士だった。

 依頼人の求めに従い、インディアン居留地のバートルズビルに出張した際、同地は石油ブームで沸き立っていたという。

 父は、裁判に勝ったが、引き替えに「石油熱」につかれてしまった。
 父は、千エーカーに及ぶ土地の採掘権を買うと、『ミネホマ石油』を設立したのである。

 三年間、父の事業は順調に推移した。
 十六歳になったポールは、父に採油所で働かせて欲しい、と云った。

「いいとも。ただし下積からやる気ならばな」

 父は、雑役作業員から叩き上げるならば、雇ってやる、と云うのだ。
 ポールは、父の条件を受け容れた。

 雑役作業員は、油田で一番厳しい仕事で、体中が油まみれになる。それなのに十二時間労働で、日給は三ドルだった。

 自分の息子だからといって、特別扱いしない、というのが父の流儀だった。

 ポールは、金持ちの跡取り息子として、不自由なく暮らしてきた。
 にもかかわらず、現場での生活や粗末な食事に、すぐに慣れたという。
 以降、ポールは、カリフォルニアの大学に通いながら、休暇中には油田で働いた。