集中連載「橋下徹とメディア」 第3回
「フェアな競争」に踊らされる記者たち

橋下の唱える「フェアな競争」を体現したような囲み取材(5月30日)。メディアは下りられるのか(筆者撮影)

取材・文/ 松本創(ジャーナリスト)

【第2回】はこちらをご覧ください。

時間無制限、何でも質問OK、フルオープンの場

 「僕がやってるこの囲み取材は、たぶん日本の政治家では(他に誰も)やってない、ある種特殊な取材。時間無制限で、質問も何でもOKだ」

 「こういう(特殊な)囲みをやってるという認識の下に、記者は記者なりの矜持を持って権力者側と対峙してもらいたい」

 「僕は質問を受けて、『コメントはしません』とか『後日ペーパーにまとめます』ということをやらなかった。やらないという主義で(囲み取材を)やってきた」

 5月20日、いったん中止を宣言した囲み取材をやっぱり続けることにした際に橋下徹が記者団に語った言葉である。

 いずれも彼が常々誇らしげに語っていることだが、付け加えて言えば、記者クラブ加盟社でなくとも報道関係者であれば誰でも参加でき、その模様は全編動画でネット上に公開されるという「フルオープン」の場である。それを、登庁日には基本的に毎朝夕やるというのだから、取材を受ける側からすれば思いきった、ずいぶん豪胆なルール設定だ。

 「それが国民の知る権利への奉仕だと思っている」と橋下はツイッターに書いている。なるほど、一理ある。記者会見やインタビューになかなか応じようとしない政治家や組織よりも、よほど国民・市民・有権者への「説明責任」を果たしていると言える。

 報道機関にとっても、取材の機会は多いほどいい。木で鼻をくくるような官僚的答弁や「その件は持ち帰って・・・」みたいなその場逃れを繰り返されるより、明快に即答してくれるほうがよほどいい。意見や立場やキャラクターがわかりやすく伝わり、ニュースに仕立てやすい。良いことずくめのように思える。

 だが、これは裏を返せば、橋下がマスメディアをまったく恐れていないということではないのか。少しばかり口が滑って失言・暴言が出てしまったとしても、どのようにでも言い逃れられる。不用意な発言を追及されたり、都合の悪い点を突っ込まれたりしても、記者に反駁し、論破し去ることなどたやすい。そう考えているのではないだろうか。

 彼がたびたび口にするメディア批評的な発言、取材の仕方や報じ方や記者の姿勢への注文、それに、これまで批判的な報道をされた時に取ってきた対応と言動を見ていると、私にはそうとしか思えない。

 自分の弁舌やマスメディア対応への絶大な自信が、囲み取材という特殊な形となって表れている。そして、橋下はこの場を存分に利用して、自らの主張と政治的メッセージ---国家観や社会観、外交や安全保障、司法、地方自治、経済・労働環境、医療・社会保障、教育や文化など、ありとあらゆる問題に対する持論やコメント---を発信し、政治家としてプレゼンスを高めようとしている。そうでなければ、こんな面倒なことはふつうやらないし、5年あまりも続かない。

 当初は違ったかもしれない。純粋に首長としての「説明責任」を果たそうと、記者の質問に真摯に答えていただけかもしれない。実際、大阪府知事就任当初の橋下を知る記者たちに聞けば、そういう印象を語る者が多い。

 「彼も最初は役所のひどい状況を変えたい、そのためにはメディアの力が必要だという純粋な思いだったんですよ」

 「役所を大きく変えるんだという高揚感が取材する僕らの側にもあった。年が近いのもあって、橋下さんに同志的な連帯感のようなものを感じていました」

 だが、この5年のうちに橋下とマスメディアの間には、完全に主と従、あるいは上と下の非対称な関係ができてしまった。

 政治や権力がマスメディアを利用しようとしたり、手なずけようとするのは別に珍しいことではない。むしろ当然のことだ。そうやって自らの影響力を高め、権勢を保とうとするのは、いつの時代でも、どんな社会でも変わらないはずだ。

 問題は彼らと対峙するメディアの側にある。自分たちが利用されようとしている、利用されているかもしれないことに自覚的になれるか。時に自省し、立ち止まって検証することができるか。

 大阪市役所で橋下に群がる記者団を見ていると、そうした意識は希薄なように思える。危機感がないわけではないだろう。しかし、外から眺める私たちとのギャップはかなり大きい。

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