派閥争いがニッポン柔道を弱体化させる 「上村派」も「反上村派」総退陣せよ
左端が渦中の人物[Photo]Getty Images

 驚きを通り越して呆れ果て、もう理解しようとは思わない。勝手にやってくれ---。

 国民をそんな気持ちにさせているのが、女子選手への暴力指導の表面化から始まった全日本柔道連盟(全柔連)騒動である。

 居座り続けていた上村春樹会長が、6月24日、引退を表明。「ようやく終息するか」と思ったが、「25日の評議員会を乗り切る"奸策"ではないか」という声も出ていた。「反上村派」の評議員が、「全理事解任」の動きを見せていたからだ。

 案の定、評議員会は紛糾した。
「反上村派」の筆頭で、柔道の強豪・了徳寺学園理事長の了徳寺謙二評議員が、冒頭の議長選びの段階からケンカを仕掛け、事務局指名候補に対抗馬を出して採決を求め、33対17で敗れるものの、「上村会長を含めた全理事の解任」を提案。
 これは、評議員規定が「議題は4週間前までに通告」と定めているために却下されたが、了徳寺評議員は「解任」に向けた動きをやめない。

怒号飛び交う評議会の後の理事解任

「なんなんですかあんたは!上村会長は一生懸命やりよるじゃろうが!」
 こう熊本県選出(上村会長の出身県)の評議員が食ってかかれば了徳寺氏も反撃。
 上村会長が、「支持なしには改革、改善はできない。決を取ったらどうか」と、一時、部屋の外に出ようとするなど混乱の極みだった。

 結局、7月に臨時評議員会を開催、「理事解任」を採決することになった。

 騒動の背景に、「上村派」と「反上村派」の争いがあることが、今回の騒動で改めて明らかになった。
 「4~5ヶ月後の退任」と、上村会長が時期を定めて発表したが、了徳寺氏らは納得せず、「即時退任」を求めたのだから、不信は根強い。

 この不信は、30年前の日本柔道界の対立構図にまで遡る。

 きっかけは、柔道の祖である嘉納家と、東海大学創設者の故・松前重義総長との争いだった。

 全柔連会長と講道館館長の双方を嘉納家が独占することに異議を唱えた松前氏は、先々代の嘉納履正氏から先代の行光氏に代替わりする際、東海大を中心勢力とした全日本学生柔道連盟(学柔連)を率いて抵抗した。

 結局、行光氏が選ばれて嘉納家支配が継続したものの、遺恨は残り、現在も学柔連を率いるのは東海大主席師範の佐藤宣践会長で、佐藤氏が旧東京教育大(現筑波大)出身であることもあり、東海―筑波大閥が反主流派を形成する。

 一方、上村氏は明大出身の柔道家で、モントリオール五輪の金メダリスト。引退後は旭化成のサラリーマンとしても頭角を現し、最後は子会社代表も務めた。
 現役時代から粘りの柔道で知られたが、全柔連でも都道府県連会長を務めるような柔道界長老を手厚く遇して支持を取り付け、子供のいない行光氏に"忠誠"を尽くし、ついに09年2月、30年近くトップに座っていた行光氏が引退する際、全柔連会長と講道館館長の座を実質的に"禅譲"された。

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