読書人の雑誌『本』
『ウルトラマンが泣いている』著:円谷英明
ウルトラマンもたいへんだ

 一九五九年生まれの私が、ウルトラマンでおなじみの「円谷プロ」で初めて仕事らしい仕事をしたのは、大学時代の夏休みの美術アルバイトでした。当時(一九八〇年頃)、世田谷区内のスタジオには、美術工作室が併設されていて、スタッフに命じられるまま、鉄塔やガスタンクなど小物模型の製作や修理を担当しました。

 一〇畳ほどの狭い部屋でしたが、様々な工具や素材が大量にストックされていて使い放題。模型好きな人には天国に見えたでしょう。ただし、空調も窓もない温室状態で、シンナーの臭いが充満する「天国」だったので、本音を申し上げますと非常につらいバイトでした。

 模型作りの作業の中で特に難しかったのは塗装です。スプレーガンに塗料のラッカーを充塡して吹き付けるのですが、素早く薄く塗り重ねないと液だれができてしまいます。出来栄えが悪くても、撮影時間が差し迫っていれば、そのまま使われました。

 何週間か後に番組を見ていて、怪獣がコンビナートを破壊するシーンで、液だれのあるガスタンクが大映しになり、密かに恥ずかしい思いをしたものです。

 仕事が終わると、当時砧にあった円谷プロの本社事務所にふらりと遊びに行くのが常でした。制作部にはプロデューサーを始め、何人かのスタッフが必ずいて、部屋の隅のパイプ椅子に座って彼らの番組作りの話を聞くのが好きでした。

 本社に自由に出入りできたのは、私が円谷英二の孫だったからではありません。当時の円谷プロは本当にオープンな会社で、区役所のように誰でも自由に入れたのです。業界関係者だけでなく、熱心な特撮ファンも出入りしていました。ファンの青年が社員と世間話をしているうちに意気投合し、いつの間にか契約社員として採用されたこともありました。

 ただ、そんな牧歌的な時代は長くは続きませんでした。ある時期から、盗難事件が頻発するようになったのです。被害品の中には〝円谷プロの魂〟とでもいうべき着ぐるみまでありました。

 たとえばウルトラマンタロウが主役で一九八四年に上映された映画「ウルトラマン物語」に登場した超合体怪獣「グランドキング」です。合体と名付けられたようにゴモラやツインテール、バルタン星人などのパーツを組み合わせ、スタイルは重厚で一部に金属も使われていて重さは六〇キロもありました。これが一夜にして消えてしまったのです。

 近くの路上には、腕や尻尾などのパーツが点々と落ちていました。重すぎて運べず、分解して捨てていったのでしょう。怪獣ファンは怪獣の顔にこだわりがありますから、その他の部分はどうでもいいと思ったのかもしれません。顔は口や目を遠隔操作するため、当時は高価だったラジオ・コントロール装置が組み込まれた精巧なもので、スタッフの落胆ぶりはたいへんなものでした。

 
◆ 内容紹介
1960年代から80年代にかけて、多くの子どもたちが夢中になったウルトラシリーズ。ミニチュアや着ぐるみを駆使して、あたかも実写のように見せる独自の特撮技術を有し、日本のみならず世界の映像業界をリードしてきたはずの円谷プロから、なぜ、創業者一族は追放されたのか。---「特撮の神様」と呼ばれた円谷英二の孫にして、「円谷プロ」6代社長でもある円谷英明氏が、「栄光と迷走の50年」をすべて明かします。