「講座: ビジネスに役立つ世界経済」
【第7回】 ~「出口政策失敗の教訓」を考える~

〔PHOTO〕gettyimages

 最近の株価調整の理由として、市場関係者の間では、様々な要因が指摘されているが、その中で有力なものは、「FRBが今年終盤頃に出口政策に踏み切る可能性が高い」というものだろう。

 バーナンキ議長やイエレン副議長、及び、FOMCで投票権を有する有力なFOMCメンバーから出口政策に対する積極的な発言は聞こえてこないが、投票権を有していない地区連銀総裁やFRBの元幹部らが、早期の出口政策の可能性、または、出口政策の必要性を主張し始めており、5月半ば以降、米国の出口政策が市場の大きな関心事となっている。

 その背景としては、米国経済の回復が顕著になってきたことがある。特に住宅投資関連指標の改善が著しい。例えば、3月のS&Pケース・シラー住宅価格指数(20都市)は151.71ポイント(季調済ベース)で、「住宅バブル」崩壊後の最低水準(136.83ポイント、2012年3月)から10.9%上昇している。住宅販売戸数は、新築、中古とも大きく伸びている。また、4月の完全失業率は7.5%で、リーマンショック後のピーク(10.0%、2009年10月)から2.5%ポイントの低下となっている。

 もちろん、今回の調整局面前までの株価の上昇も出口論の台頭を促す一因となっている。これらの強い経済指標が、「現行の量的緩和政策(QE3)をこのまま継続させると、将来の景気過熱(インフレ)懸念や株価や住宅価格の行き過ぎた上昇(バブル)懸念を誘発させかねない」という見方を台頭させている。

法定準備率の引き上げによって実施された出口政策

 果たして、市場が予想するようなタイミングでの出口政策は、米国経済にとって好ましい出口政策であろうか。これを考えるために有用となる歴史的教訓がある。「米国での1937年大不況」の顛末である。FRBは、1936年半ばから1937年半ばにかけて段階的に「出口政策」を実施したことがある(いうまでもないが、世界大恐慌下のデフレに際し、FRBは5年超にわたってゼロ金利、量的緩和政策を採っていた)。

「出口政策」直前の米国は、FRBによる長期的な量的緩和政策によって、ピークでは2桁台のデフレ(マイナスインフレ)が前年比2.5%程度のマイルドインフレに転換した。また、鉱工業生産指数は前年比10%以上の拡大局面にあった。株価も前年比で40%程度の上昇を記録していた。

 このようなマクロ経済状況をみて、当時のFRB幹部は、1)デフレは完全に解消された、2)現状の量的緩和が続けば、インフレ率はさらに加速度的に上昇し、逆に将来、深刻なインフレをもたらしかねない、3)「過剰流動性」の存在は、株価の「バブル的上昇」を誘発させかねない、との理由から、出口政策に踏み切った(なお、米国財務省は、ほぼ同じ時期に増税を実施している)。

 当時のFRBは、FRBのバランスシートを縮小させるのではなく、バランスシートの水準は維持しながら出口政策を実行した。より具体的には、出口政策は、法定準備率の引き上げによって実施された。すなわち、金融機関の準備預金総額を維持させながら、その内訳(法定準備と超過準備の構成比)を変えようとしたのであった。

 当時のFRB内の議論では、デフレ期に積極的に購入してきた国債を逆に市中に売却する国債の売りオペも検討されたが、債券市場に対するインパクトが大きい(すなわち、長期金利の高騰をもたらしかねない)として最終的に回避された。すなわち、当時のFRBの出口政策は、資産価格の急激な変化をもたらすような「流動性」をなるべく変動させない措置を採ったのであった。

 この法定準備率の引き上げによる出口政策は、3回に分けて段階的に実施された。このうち、最初の2回は、ほとんど市場に影響を与えなかった。だが、3回目の準備率引き上げをきっかけに株価は暴落、長期金利も高騰した。そして、実体経済も急速に悪化した。その結果、1937年に、米国は、世界大恐慌期(1929年から1933年)に次ぐデフレを経験することとなった。そして、これをきっかけにFRBは再び量的緩和政策に戻り、それ以降、出口政策は封印された。

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