弘兼憲史のアジア立志伝

『天佑なり』刊行記念 特別寄稿
「アベノミクス」と「コレキヨ相場」
~高橋是清という不世出の財政家~

文/幸田真音(作家)

2013年06月07日(金) 弘兼 憲史
upperline
「国を想い、家族を愛し、友を信じた。激烈な男の人生に熱い涙がこぼれた!」

経済小説で定評のある幸田真音さんが高橋是清の劇的な人生を綴った小説『天佑なり』()を拝読させていただき、私は上記のような帯コメントを書きました。信念の男・高橋是清の人生は本当に清々しく熱い。財政家として教師として政治家として、そして「くに」のために本気で働いた不世出な人物・高橋是清に幸田真音さんが迫ります。(弘兼憲史)

 

 総理大臣を一回、大蔵大臣にいたっては七回も務めた、不世出の財政家。

 明治、大正、昭和初期と、何度も繰り返された経済・金融の危機から日本を救った男。

 そんな形容とともに、高橋是清という名前をまったく聞いたことがないという人は少ないだろう。

 記憶に新しいところでは、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」のなかで、帝国海軍軍人の秋山真之や、明治を代表する俳人である正岡子規らの教師役として、西田敏行が演じていた英語教師の高橋是清を思い出す人が多いのかもしれない。

 だが、実際にはあの学校、つまり知人からの依頼を受けて、東大予備門に進学するための日本初の進学予備校ともいえる共立(きょうりゅう)学校を再興し、校長として教壇に立っていた是清が、当時はまだ二十四歳だったことをご存じだろうか。

 また、欧米を視察して制度設計を研究し、日本の特許制度の基礎を創って、初代特許局の局長に就いていたこともあまり知られていないのではないか。

 もとより仙台藩の足軽の養子だから、正規の教育は受けられない時代だった。それでも十三歳の誕生日を前にアメリカに渡り、知らずに契約書にサインしたのがもとで奴隷に売られ、署名の重要性を肝に銘じて知らされる。かくして、さまざまな失敗を繰り返しながら、実践的な生きた英語と交渉力を身につけていくのである。

『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』
著者=幸田真音
⇒本を購入する(AMAZON)

 長じては、現在の三菱東京UFJ銀行の前身であり、外国為替業務に強かった東京銀行のさらに前身である横浜正金銀行の発展に多大な貢献をし、頭取に就任。いまや、黒田総裁の異次元緩和策で最近にわかに注目を浴びることになった日本銀行の総裁。さらには大蔵大臣(現在の財務大臣)を七回も、そして総理大臣にも一回就いている。

 なにせ転職につぐ、転職。

 そもそもどのぐらい職を変わったのかと、試しに数えてみようと思ったのだが、途中であきらめてしまった。

 なにせ、学生時代から教師を兼務して以来、三十五歳で特許局の局長になった直後、これからは日本企業も海外への進出が大事だと、南米はペルーまで銀山採鉱に赴くにいたるまでの間だけでも、彼の転職はすでに二十回に達しているからだ。

※) 「天佑なり」・・・日露戦争の戦費調達のためロンドンでの国債売り出しに成功した際、天の恵みに感謝して発した高橋是清の言葉。
次ページ  いったい生涯いくつの職に就い…
1 2 3 次へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 RSS
関連記事


underline
アクセスランキング
1時間
24時間
トレンドウォッチ