脱グローバル論 日本の未来のつくりかた
第1回 グローバル社会VS. 国民国家のゆくえ その3

内田樹 中島岳志 平松邦夫 イケダハヤト 小田嶋隆 高木新平 平川克美

 しかし私は、今の若者たちは閉塞的で、非常に大変で、どうしようもないかっていうと、あんまり今そういうふうに思っていなくてですね。若者の(意識調査の)データなんかを見ていると、たとえば「社会に貢献したい」という人の割合が高い。みなさんの身近にも「ソーシャルビジネスをやりたい」とか「コミュニティのために働きたい」という若者がたぶんいると思うんですけど、特に個人的な理由や明確なきっかけなしに「社会の役に立ちたい」と考える若者が増えている。私のところにも最近、そういう学生がどんどん出てくるようになってきたと感じるんですね。

 若者に限らず、社会参加の動機付けというのが日本社会では非常に難しいんです。「社会的再配分の動機付け問題」と私は言っているんですが。諸外国ですと、宗教に基づいた隣人愛とかチャリティ精神みたいなものが、社会的再配分に関わる・関わり続ける動機付けとして獲得できるんですけども、日本は宗教社会ではないですから、この動機付けを得て、しかも持続させることが難しい。僕たちは『24時間テレビ』を見ている時だけチャリティをやりたくなって─タレントがなんで走ってるのか、いまだによくわかりませんけども(笑)─あれを見てる時はすごく募金しようと思う。しかし1週間経てばコロッと忘れる。1年半前(2010年12月)にあった「タイガーマスク騒動」なんて、もうみんなすっかり忘れてますよね。サステナビリティがないそんな社会なんですが、しかし、どうも最近の若者というのは、何らかの前提とか根拠なしに社会に関わる動機付けを持ってる子たちが結構いるわけですね。

 これは私、非常にいいことだと思っていて、素直に受け止めようと思っています。僕たちの世代よりもよっぽどいい。で、この彼らの動機付けをうまく、平松さんがお考えであった「市民協働」とか、あるいは小さな公共……民主党が言ってて失敗した「新しい公共」というような動きに活かすことはできないか、と思うんですね。「居場所と出番がある社会」って、私はいい言葉だと思いますけれども、そういうところにどうやって誘引していくのか。その回路が見えないというのが、この社会の問題なのかなあと思うんですね。

平松 私自身は放送局出身ですから、いわゆるマスコミの一員であったわけです。しかし、自分自身の4年間の主張や活動、あるいは選挙も含めて振り返ると、マスメディアってここまで偏ってたかな、と─まあ、そんなことを言うと「負け犬の遠吠えや」と言われるので、自分自身は選挙が終わってから、そういう発言はしないでおこう、特に100日間ぐらいは何も言わないで黙って見ていようと思ってたんですが、しかし、あまりにもね、市民協働を一緒にやっていただいた人たちの悲鳴が、しょっちゅう聞こえてくるんです。ところが、テレビや新聞には、それが一切出てこない。特に関西のテレビは今も、バラエティ番組の中でかなり偏った(橋下市長に対する)ヨイショを続けています。

 そういう中で、今日のこの集会もツイッターなどを通じて発信し、拡散をお願いして、これだけの人が集まってくれたわけですが、この思いをどれだけ広げられるか。相変わらずの放送局やマスメディアに、一泡吹かせる可能性がソーシャルネットワークというものに結構あるんじゃないかな……なんて思ってるんですが、この点はいかがでしょうか。

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