サッカー
二宮寿朗「野心的なアイデアで“一面トップ”を!」

J草創期に多かった刺激的な話題

「Jリーグがスタートするとき、サッカーの認知度は低かった。それでも連日のようにテレビ、新聞、雑誌とあらゆるマスメディアが露出してくれて、僕に言わせれば、広告費からすると何億円、何十億円というふうにもなるぐらい、半年以上かけてJリーグのことをPRしてもらった。“(地域に浸透できた要因の)6割以上はマスメディアの皆さんのお力だ”と言った記憶があります」

 言葉の主は川淵三郎キャプテン(現日本サッカー協会最高顧問)。Jリーグを創設した初代チェアマンは、過日、リーグ20周年記念パーティーでの挨拶でこのように述べた。川淵氏は1993年にスタートして社会現象ともなったJリーグが全国規模で浸透できた要因のひとつに、メディアの“報道支援”があるという見方をあらためて示している。集まったメディアに対する多少のリップサービスの意味はあったのかもしれないが、サッカーの知名度を上げるために川淵氏がいかにメディアの力を重視していたのかが理解できる。

 チェアマンという呼び名ひとつ取ってもメディア、ひいては世間の興味を引くようにと考えたうえでのアイデアである。「地域密着」を浸透させていくには、多くの人にリーグを認知してもらわなければならなかった。

 それにまだ歩き始めたばかりの各Jクラブも知名度を上げることに必死だった。ジーコ、ゲーリー・リネカー、ピエール・リトバルスキー……競い合うように世界のビッグネームを呼んでくるのも強化の観点だけではなかったと言える。

 メディア側とすれば当然ながら、PRしたいからと思って別に報道しているわけではまったくない。関心を引くトピックがそこにあるからこそ飛びつくのだ。そういう意味でJ草創期には、メディアにとっても刺激的な話題が多かった。