第36回 是川銀蔵(その二)関東大震災に昭和金融恐慌---大事件をバネに「兜町の風雲児」へ

 十九歳で是川銀蔵は、日本にもどってきた。

 中国大陸での商売は儲けも大きいが、軍や政商が相手の取引は、リスクも大きかったのである。

 帰国した銀蔵がはじめてチャンスを把んだのは、大正十二年九月一日、関東大震災の時だった。

 当時、銀蔵は大阪にいたので、多少の揺れは感じたものの、さして気にとめることもなく昼食をとった。震災の被害を識ったのは、新聞の号外が出た時だった。

 銀蔵は「ハッ」と閃いた。

 トタン板と釘を買い集めよう・・・・・・。

 東京が、壊滅的な被害にあっているとすれば、とりあえず必要なのは建材である。それも最も一般的で、汎用にたえるトタンと釘だ。

 とりあえずトタンと釘、それに焼け残った木材などを用意すれば、被災者も雨露はしのげるだろう・・・・・・。

 予想通り、トタンと釘、その他の建材は飛ぶように売れた。

「カネもうけをしようと思ったら、人と反対の考え方をしなきゃいけない。それと、ちょっとした機転がカネもうけの秘訣や」(『最後の相場師 是川銀蔵』木下厚)

 昭和二年三月十四日、片岡直温大蔵大臣が、国会で東京渡辺銀行が倒産した、と失言した。

 政友会議員からの執拗な攻撃に遭い、やや逆上した片岡は、手交されたメモを、そのまま読み上げてしまったのである。

 実際には、この時点では、まだ渡辺銀行は破綻していなかったが、その報により渡辺銀行は休業を余儀なくされた。