官々愕々
橋下発言の「倫理」と「実利」

 橋下徹日本維新の会共同代表の慰安婦問題に関する発言をめぐる一連の大騒動。結局、多くの人が傷つき、損をして、全く実りのないまま終わりそうな雲行きだ。

 本件については、あらゆる角度から橋下氏を批判する論評が行われたので、少し、違った角度で見てみよう。

 私は、今回の橋下氏の発言を聞いていて、あることを思い出した。

 それは、昨年の関西電力大飯原子力発電所の再稼働問題で、脱原発主義者だと見られていた橋下氏が、いとも簡単に再稼働容認派に豹変した時のことだ。その後、橋下氏は、石原慎太郎氏と組んで、脱原発派から明確に離脱した。私がメンバーとなっている大阪府市エネルギー戦略会議が再稼働反対を唱え、多くの委員が、原発の反倫理性を指摘したのに対して、橋下氏は、原発が悪であるという哲学論、倫理論は採らないと明言した。原発なしでもやっていけるという明確な道筋が示されない限り、哲学的に原発を否定する人達を
「無責任な原理主義者」というレッテルを貼って批判した。

 つまり、人間として、倫理的に原発をどう考えるかという議論よりも、経済的に原発が必要かどうかという議論が優先するという立場をとったわけだ。哲学、倫理よりも、実利という氏の考え方がよく表れている。

 今回の慰安婦問題をめぐる橋下氏の発言に、こうした氏の基本姿勢が表れたのではないかと私は直感的に思った。男性の性欲の捌け口の道具として女性を利用するのは、法律的に許されるとしても、決して倫理的に許されることではない。

 しかし、橋下氏の心の中には、「そんなことを言ってもそれでは男の性欲の問題を解決できない。倫理とか哲学とか言っていても始まらない。現に、法律で認められた性風俗産業があり、それなしでは性欲コントロールはできない以上(この前提が橋下氏独特のものではあるが)、性風俗産業を活用するしかないだろう」という考えがあったのではないか。つまり、ここでも、倫理よりも実利が優先してしまった。

 性的暴力が米軍に蔓延しているというワシントンポストの報道なども橋下氏を勇気付けた。しかし、同紙の記事は決して軍と性の問題について、性欲解消策を講じろという問題提起をしたわけではなかった。性的暴力が起きる原因が、軍の閉鎖性とそうした犯罪に対する甘い姿勢にあるという点、つまり、犯罪の抑止力の欠如を指摘していたのだ。風俗産業で働く女性を活用するなどという倫理的に認められない方向への議論など許されるはずもない。

 これを沖縄に当てはめれば、米兵が性犯罪を含む様々な問題を起こす原因が、犯罪を行っても日本の警察に捕まって日本の法廷で裁かれることはまずない上に、米軍内でも、実は厳罰に処されることは少ないという点、すなわち犯罪抑止力の欠如が問題だというかねてからの議論につながるのである。沖縄女性を利用しろなどという暴論は出てくる余地はない。

 沖縄の状況を変えるためには、日米地位協定を含む、米軍のやりたい放題になっている治外法権の状況こそ取り上げるべきだった。

 橋下氏は倫理を軽んじた。氏にとっては、おそらく倫理の問題は「建前」に過ぎないということなのかもしれない。「建前」の議論をしても仕方ない、「本音」の議論をすべきだと繰り返せば繰り返すほど、そのことを感じ取った市民が多かったのではないか。

 倫理を軽んずるというイメージは、政治家にとっては致命傷となる。どうやってこれを挽回するのか。その道は険しく遠いものとなるであろう。

『週刊現代』2013年6月15日号より  

 
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「核のゴミ」を処理できないという大問題の解決策がない以上、「原子力は悪である」という前提に立った上で取り扱うべきだという「倫理感」が国民の共通基盤になるはずだという筆者の思いは、熱く、なおかつ説得力がある。
福島第一原発の事故で原発の恐ろしさに目覚めた人、原子力ムラの企みと横暴に怒りを感じた人、そして「脱原発」を目指す多くの人に、真実を伝え、考える道筋を示し、そして希望を与える「魂のメッセージ」。