是川銀蔵(その一)
株式投資で儲けた「最後の相場師」---
中国で世界大戦に巻き込まれた頃

 是川銀蔵は、平成三年、九十三歳になってはじめて自伝『波乱を生きる』を著した。

 それまでも、いくつもの版元から自伝執筆を依頼されたが、自分が自伝を書く事で多数の犠牲者が出ることを危惧していたのだ、という。

 ところが、ある物書きが是川の一代記と称するものを勝手に出版してしまった。

 是川は、困惑した。

「一代記」を読んだ人たちが、話を真に受けて投機に手を出し、道を過ったら大変だ・・・・・・。

そこで私は自らの人生を自らの手で綴ることにより、株で成功することは不可能に近いという事実を伝える使命があると思い、筆をとることにした」(『波乱を生きる』)

 銀蔵は、兵庫県赤穂に七人兄弟の末っ子として生まれた。末っ子の銀蔵は、高等小学校まで通わせてもらったが、上の兄たちは尋常小学校止まりだった。末っ子だから、格別に遇してくれたのか。

 十四歳で好本商会の小僧さんになった。

 商会はイギリスから毛織物を輸入し、日本の手芸品を輸出する、という商いをしていた。

 好本は、盲人の地位向上に努めるなど、社会事業にも熱心だったという。

 商会では、朝日新聞をとっていた。新聞小説の「豊臣秀吉」を夢中になって読んだ。貧農から身を起こし、天下人になった秀吉に感奮したのである。

 ところが大正三年の春、好本商会は倒産してしまった。

 小僧の身ながら、倒産の惨めさを味わった。両親や兄たちは、銀蔵に新しい勤め口を探してくれた。けれど、倒産を目の辺りにした銀蔵は、一本だちを決心した。

いくら懸命に働いても、人に使われていては会社が倒産したらまた失業だ。(中略)どうせやるならワシ一人の力でやってみよう」(同前)