『平成デモクラシー』著:佐々木毅
「平成デモクラシー」を問う

 平成になってから四半世紀が過ぎた。平成元年はベルリンの壁が崩壊し、冷戦が名実ともに終焉を迎えた年であった。平成時代は世界史の大きな区切りとともに始まった。従って、平成を問うことは冷戦後の世界がどうであったかを問うことと重なる。

 私事ながらこの三月で大学勤めを終えることになり、学生に乞われて行った最終講義の題が「私の見た平成デモクラシー」であったが、それは私なりにこの四半世紀を回顧してみたいという気持ちからであった。

 政治についていえば、この四半世紀は世界規模での民主化の大波に洗われた時代であった。それは旧社会主義圏やアジア、そして、アラブ世界にも押し寄せた。それこそ靴下を脱ぐように、民主化を放棄することは今や論外である。

 日本はこの大波に無縁な民主主義国であったはずであるが、気がついてみると、日本の民主制もそれなりに大きく変貌した。どう変貌したか、このことを浮き彫りにするために、「平成デモクラシー」という概念を使ってみようと試みたのが、このたび五月に上梓することとなった『平成デモクラシー 政治改革25年の歴史』である。その意味で、本書は一つの挑戦である。

 今から四半世紀前の政治はすっかり姿を消した。確かに自民党という政党はあるし、再び政権の座についているし、相変わらず派閥という言葉はあるが、その実態は大きく変わった。派閥という言葉は今も昔もあるが、その内実は月とスッポンほどに違う。

 違いといえば「政治とカネ」の問題はその代表例であるし、今や「一票の格差」が二倍を越えたりすると違憲判決が出るようになった。自民党自身が自らを変えようとし、それに他の政治勢力やメディア、有権者が加勢し、日本は連立政権から政権交代まで一気に走り抜けた。

 今や政治にとって透明性は命綱であるが、四半世紀前の政治は一言でいえば、派閥に代表される不透明性の集塊の感があった。「平成デモクラシー」はいわば透明性と変化に向けての体系的な跳躍の試みであり、リーダーシップにしろ、政権公約(マニフェスト)にしろ、そうしたものへの注目はこの大転換の中で生まれたのであった。

 本書はこうした「平成デモクラシー」の新たな飛躍に取り組んだ人々の議論とそれをめぐる政治のドラマを収めたものである。私自身、この渦の真っただ中でこの四半世紀を過ごしてきたこともあって、本書は誠に身近なものがある。

 
◆ 内容紹介
決して豊かでもなければ、膨大な人員を擁することもなかった組織にこれだけ長期にわたる活動ができたのは、経済界、労働界、言論界、法曹界、学界を含む類まれなチームワークの賜物である。同時に、そこには国家や社会、公共性に対する強い献身というバックボーンがあった。民間政治臨調は一面では土光会長で知られる第二臨調の人脈を引き継いでおり、それこそ「赤紙が来た」心境で政治の改革問題に取り組んだことは、私的な懇談でしばしば耳にした。私の世代は「赤紙」とは無縁であるが、その心意気に触発されたということであろう。これは必要に応じて「闘う」組織になるための条件であった――「あとがき」より抜粋