感動ストーリープロ野球
荻野貴司、中村紀洋、脇谷亮太ほか
挫折からのカムバック

故障、スランプ、年齢—輝きは、ちょっとしたきっかけで永遠に消えてしまうこともある。今季各所で、燻っていた残り火が、再び勢いを取り戻しかけている。復活の日、その前夜に何があったのか。

一人で闘ってるわけじゃない

「これが、オレの腕なのか」

 手術後、約1ヵ月間腕全体を固めていたギプスを外したとき、巨人・脇谷亮太(31歳)の右腕は、およそスポーツ選手のものとは思えないほどに細く弱々しいものに変わり果てていた。

 脇谷が長年の疲労の蓄積で損傷した右ヒジ靭帯の再建手術を受けたのは、'11年の11月後半のことだ。現在メジャーで試練の日々を送っている松坂大輔や和田毅も受けた、いわゆる「トミー・ジョン手術」である。

 脇谷も復帰には1年と5ヵ月を要したことになるが、リハビリを二人三脚で支えた球団専属の理学療法士・荒川玲は、「もう少しかかると思っていた」と語る。

「再建手術とは言っても、身体の別の部位から持ってきた組織を移植するわけです。要は『元の状態に戻る』のではない。だから最初は、新しくなった自分のヒジが『ちゃんと動くのか』すら確信がないんです」(荒川)

 これほどの「大ケガ」は初体験だった脇谷にとって、毎日が苦悩の連続だった。定期的に通う病院での検査には、当時1歳の我が子をいつも傍らに連れていた。脇谷にとって、子供の存在は己を鼓舞する唯一の活力であり、心のより所だった。荒川は言う。

「ショックは相当なものだったはずです。最初はペットボトルすら持てない。具体的にはヒジを机について曲げ伸ばしの訓練をするところから始まるんです」

 脇谷の姿は、何十kgもあるダンベルでトレーニングを行う他の選手たちから、「何だよ、それは」と茶化された。そんな「いじり」に対して、彼は苦笑いを返すことさえできなかった。

 だがそんな状況でも、荒川は脇谷の弱音一つ、耳にした記憶がないという。

「今日は(投球の距離を)30mに伸ばしてみよう」「今月は50mまではいけるよ」—気を抜けば、いつ折れてもおかしくない心を支えるために、荒川は脇谷に絶えず「超えるべき目の前の目標」を提示し続けた。

 小さな目標をクリアする喜びと、やれたはずのことができない不安の狭間で、脇谷を鼓舞し続けたのは指揮官とのこんな約束だった。

「背番号23は、お前が帰ってくるまで欠番にして待っているから」