「講座: ビジネスに役立つ世界経済」
【第5回】 ~近くて遠い米国出口政策 1937年の教訓とは?~

〔PHOTO〕gettyimages

 このところ、市場関係者の米国経済の見通しは、強気、弱気の2つに分かれている。強気派は、主に株式市場の活況(NYダウなどの史上最高値更新など)からFRB(連邦準備制度理事会)の「出口政策」が前倒しされる可能性を指摘する。一方、弱気派は最近の経済指標の弱さ(特に企業センチメントに関する指標)からFRBによる追加緩和の可能性を指摘する(さらに米国政府による緊縮財政の影響を懸念する向きもある)。

 ただし、米国市場は総じて堅調に推移しており、史上最高値の更新が続いている。FRB高官の出口政策に対しての前向きな発言は流動性の縮小といったネガティブなニュースとしてとらえられている訳ではなく、むしろ、株価の短期的な調整をもたらすことで、絶好の買い場を提供し、株価の上昇トレンド維持に貢献しているようにみえる。

 株式市場の反応はさておき、実際の米国経済の状況はどうなのだろうか。筆者は、強気派でも弱気派でもない。FRBによる出口政策は当面封印されると考える(すくなくとも現時点でFRBが提示する2015年まで現行の政策を維持するという考えは変わらないだろう)。その一方、景気の失速もなく、これまでの緩やかながら着実な回復も続くであろうとも考えている。すなわち、FRBは現行の量的緩和スタンスを変更しないまま、景気は緩やかに回復を続けるという状態が当面続くという見立てである。

FRBが出口政策を急がない理由

 ところで、FRBにとっての政策目標は、2%のインフレ率の維持と6.5%の失業率の実現である。現在、コア消費者物価指数は前年比+1.9%で昨年7月以降、ほぼ2%で安定している。一方、完全失業率は順調に低下しているものの、4月時点で7.5%と、目標の6.5%よりも1%高い。リーマンショック後のピークから現時点までの回復ペースが維持されると仮定すると、目標の6.5%に到達するのは、約1年半後の2015年前半になると試算される。

 米国では、株価や不動産価格等の資産価格上昇による景気押し上げ効果(いわゆる「資産効果」)が大きいことを勘案すると、インフレ率が2%で安定し(実際はやや下振れつつある)、完全失業率が目標よりも1%高い状況下で金融政策変更のシグナルを市場に送ることは、FRBが、景気回復(デフレリスクの払拭という経済の正常化)の途上に、わざわざ資産価格の下落による逆資産効果をもたらす政策をとることを意味している。

 FRBはこのタイミングでの政策変更のアナウンスが、政策目標の実現に高いリスクをもたらすことを理解していないはずはないと思われる。

 ところで、筆者は、FRBが出口政策を急がない理由がもう一つ存在すると考えている。それは、米国の経済学者の間では、FRBがかつて、今回同様の量的緩和政策からの出口政策を失敗した教訓が共通財産として残っている点である。

 米国では1933年に深刻なデフレーションを克服すべく、共和党から民主党への政権交代を契機に大胆なリフレーション政策が採用された。もちろん、大規模な財政出動もなされたが(ニューディール政策)、デフレ解消に寄与したのは、FRBによる量的緩和政策であった。

 米国では、財政支出が目にみえて拡大し始めたのは1934年からだったが、デフレの解消は1933年の半ば頃に実現した。これは、FRBが量的緩和政策によってマネタリーベースを大量に供給したことによるものだった。当時、FRBが大量に供給したマネタリーベースの多くが「超過準備」という形でFRB内の準備預金に蓄積されたが、デフレは約半年で解消した。これは、FRBによる積極的な金融緩和に加え、当時のルーズベルト大統領がデフレ解消を最優先の政策としたことが大きかった(ラジオ演説で全国民に向かって任期中でのデフレ解消の実現を宣言した)。

 さて、当時の米国の政策当局は、1935年頃には、生産指数が前年比で10%近く上昇、インフレ率も消費者物価指数で、2.5%程度と安定的に推移していたため、経済は正常な状態に戻ったと判断をするようになった。そのため、FRBは出口政策による金利体系(イールドカーブ)の正常化を模索するようになった。

 そして、FRBは1936年8月に初めて出口政策に着手したが、以後、3回にわたって出口政策を実施し、段階的に量的緩和政策を解除した。ところが、出口政策実施後、1937年には、米国経済は大恐慌期に次ぐ深刻なデフレに見舞われることになった。特に、出口政策による金融引き締めで資金調達難に見舞われた中小企業の破綻がデフレの発端となった。そのため、FRBは再び量的緩和を実施せざるを得なくなった。

 さらに、政府も大恐慌期以上の大規模公共事業を実施し、経済の立て直しを図ることとなった(歴史の教科書に掲載されている「ニューディール計画」はこの1937年以降の大規模公共事業であることが多い)。結局、米国経済は1940年に再び回復局面を迎えたが、その後、FRBは出口政策を実施できないまま、米国経済は戦時経済(統制経済)に突入した。

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